「教風」 (連載第27回)


三代大先生と甲子園


 8月8日甲子園球場に「大阪代表 金光大阪高校」とアナウンスが響き、ひときわ大きな歓声に包まれた中を胸に金光と大きく書かれた真っ白なユニフォームを着た選手達がどうどうと行進したのです。5年前の春のセンバツでの感動が再び私の胸の中に沸き起こりました。

 その9日前の7月30日、大阪の舞洲球場で、大阪大会決勝がおこなわれました。

 くしくも昨年と同カード、相手は本命中の本命と言われていたチームです。誰もが不利と予想していましたが、金光大阪球児は、見事昨年の雪辱をはたし、史上初めて夏の甲子園のきっぷを手に入れました。私は歓喜する選手や監督そして応援に来ていた生徒達を万感の思いで見ていましたが、さらなる感激がその後にありました。

 その日のうちに玉水へ選手達が優勝報告に参拝に訪れたのです。連絡を受け、さっそく甲子園出場を祝う看板を教会正面に掲げ、信者さんたちとお広前玄関で到着を待ちました。
 いつの間にか商店街の人たちも加わりました。帰宅途中の会社員は金光大阪の優勝に驚きながら、何事かというような顔で通っていきます。

 そして、いよいよ選手たちのバスが四ツ橋筋に到着し、優勝旗を持った石井キャプテンを先頭に整列して、教会までの堂々たる行進です。胸には金メダルが輝いていました。沸き起こる拍手に選手達は少しテレながらも満面の笑顔です。

 お広前に上がりさっそく主将の先唱でご祈念する姿をお結界から見ておりますと、いつもは神妙な顔でのご祈念が、この日ばかりは笑顔でのご祈念でした。その笑顔を見ながら私自身神様にお礼を申し上げていましたが、いつの間にか選手達にもお礼を申していました。それぐらいこの日は私達に感動を与えてくれたのでした。

 さて、その日から近所の色々な人になぜか私が祝福され、コンビニのおじさんからもお祝いを言われました。特に、あちこちの教会の先生が「おめでとう」と声をかけて下さり、そのたびにありがとうございますと答え、なにか妙な感じになりました。私は学校のOBでも関係者でもありません、でもよく考えてみると祝福して下さった先生方は、皆さん、私の父の夢を知っていたのではないでしょうか。

 父は理事長として当時の金光第一高校を開校したとき、大阪はもちろん高槻でも知られていない出来立ての高校の名を高めるには、学業よりも部活動が活躍することで世間に知らしめてゆくのが一番得策ではないかと考え、部活動に力を注ぎました。特に、野球部とサッカー部をいち早く立ち上げ、全国大会に出ることを念願されていました。いくつかの部がすぐに全国レベルで活躍するようになりましたが、野球部とサッカー部はやはりハードルが高く、やがてサッカー部が先んじて全国大会に出場しましたが、やはり野球部の方は強豪がそろう大阪ではそうは簡単にいきません。

 そんな中、5年前の春のセンバツでついに父の夢が実現しました。しかし一番の願いは日本全国でもっとも注目を浴びる夏の大会に出場することでした。その父の念願をついに果たしてくれたのです。今回の出場を一番喜んでいるのは父に違いありません。
 残念ながら甲子園での初勝利は、またもおあずけとなりましたが、近いうちに果たしてくれるでしょう。
 あらためて、金光大阪野球部の諸君とそれを支えて下さったスタッフ教員の方々に、父と共に感謝します。ありがとうございました
(この「教風」は、2007年9月に掲載されたものです)
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