「教風」 (連載第31回)


新人になる


あけましておめでとうございます。

 平成20年、2008年の新春を迎えました。  新しい年を迎えたということで、「新人になる」ということを考えてみたいと思います。

 新人といっても、新入社員とかフレッシュマンとかいう意味の新人ではありません。初代大先生によれば、信心が、新人→真心→神心→神人へと、段階を経て上がっていく第一段階として、近所の人とか周囲の人が「おっ、あの人は最近変わってきたな。信心しているというが、今までとまるで変わってきた」と認めてくれるようになった段階です。

 第一段階とはいえ、これがなかなかむずかしいことです。
 教祖様は、「本心の玉を磨きて、何事にも心がけをよろしきようにせねば、神様へ信心しておると思うても、人が信心なと見て敬うてくれず」(理T山定53-2)と教えてくださっています。

 では、どうすれば本心の玉を磨くことになるのか。今年は1月19日に二代大先生二十年祭が執り行われ、また来年12月には三代大先生十年祭が、と大きなお祭りが続きます。大勢の信徒の方が御用奉仕くだされることになるでしょうが、その御用奉仕を例にとって申してみましょう。

 ○御用を通して
 御用はどういう気持ちでさせていただいたらよいでしょうか。おかげをいただくために御用する、というのは少し違います。やはり、神様のお心に思いをはせるということが大切です。

 神様は、いっときの休みもなく働いてくださっています。無条件で働いてくださっています。これだけのことをしてくれたら、こうしてやるなどということはないのです。そして私たちがお願いをすれば、立派な信心ができていなくても、たとえおかげ欲しさの信心でもおかげを下さいます。これは親が子を思うような無条件の事柄なのです。ですから私たちも御用を通してそのお心をいただかねばなりません。

 たとえば、「この三方を拭くからおかげ下さい」では御用をしたことになりません。
 三方は教会が買ったものと思われてはこまります。三方は神様がご用意くださったものです。神様の用意してくださった三方を拭かせていただく。とても尊いことではありませんか。

 ほこりをはらい手垢をぬぐって、きれいに拭くということは大事なことです。しかし、その前に神様のお心を分からせていただきたいと願うことが肝心です。その思いが「本心の玉を磨く」ということにつながるのです。三方を拭くということは自分の心を拭くということになってきます。

 そしてこれができてくれば、御用のときだけでなしに、ふだんの生活の中でもすべてのものは自分が買ったものでなく、神様がご用意くださったもの、という思いで接することができるでしょう。

 祭具は、神様のものということで丁寧に扱います。同じように身の回りのものも、やはり神様が私たちのために働いてできたものですから丁寧に扱おうということになります。

 こうしたことが日々にできていきますと、周りの人も「あっ、以前はものを乱暴に扱っていたがこのごろは違うな。そういえば態度もまるくなってきた。つらいことがあっても前向きでいるな。ほんとに変わってきたな」と見てくれるようになります。そういう信心を進めさせていただきましょう。

(この「教風」は、2008年1月に掲載されたものです)
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