「教風」 (連載第32回)


三代金光様と初代大先生


 初代大先生の一生を年表で追ってみていきますと、ここが人生の分かれ道だったのだな、というところがいくつかあります。

 そのひとつは24歳のとき、奉公先の貴田商店が倒産してしまい、ご本部に参って三代金光様に身の振り方を伺うと、思いもかけない、「小売りをしなさい」というお言葉を頂き、そのお言葉を天命として小売り商いに従事することになった、ときです。

 こう書きますと、いかにも湯川安太郎青年が淡々と小売り商いに入っていったようですが、実際はそんなものではありませんでした。

 店こそ倒産したものの、安太郎青年の仲買いでの商売の実績はかなりのもので、うちに来てくれという店が複数ありました。安太郎青年に来てもらえば、その店の商売に大きく寄与することになるのは確かだったからです。商機をつかんで電報一本打てば、相当の商いができる腕をもっていたのです。仲買商として独立してもやっていけるという自信もあったことでしょう。ですから安太郎青年のお伺いとは、そういう範囲のことでした。
 ところが案に相違して三代金光様のお言葉は、「小売りしなさい」でした。

 それ以前にもご本部に参拝したことはあって、そのときは壮年の二代金光様がお座りになっていました。今度はお子さまの三代金光様が代替わりしてお座りでした。しかし、このとき三代様13歳か14歳、今で言えば中学2年のお年です。しかも今日と違い都市と農村の情報格差は甚だしいものがありました。現在ならテレビ、新聞、インターネットで即座に世界のことが、どこにいても分かります。当時は岡山の農村から見ると生き馬の目を抜く大阪は別世界でした。

 全く想像もつかない世界のことで、しかも少年が、とんでもないことを言うのです。当時は格差といえば仲買と小売りは同じ商売でも格差もあったようです。そのうえ資本もない安太郎青年は細々とした行商しかできませんでした。大舞台でいくらでも腕の揮(ふる)えるのが、いわば底辺に身を落とすのです。その落胆と失意は大変なものだったでしょう。それでも安太郎青年は気を奮い起こして、神様のお言葉に従いました。

○もし違う展開になっていたら
 もうお伺いなんて、たやすくするもんやない、と思われたそうです。布団をかぶって悶々(もんもん)とされていたともいわれます。
 確かに安太郎青年にとっては酷なお答えでした。そしてそのあとも順調に商売が推移したわけではありません。『信話集』にあるように、お金で苦しんで苦しんで苦しみ抜くのです。

 ですが、もしあのとき三代金光様があんな突飛なことを言われなかったらどうだったでしょう。あるいは商売はもっと華やかに楽にいったかもしれない。ですが、二十四銭三厘のお話にあるようにお金に正面から向き合って、お金と信心を追求していく、そういう初代独特の信心はなかったことでしょう。と言うことは、「神様がご主人、自分は奉公人」の境地に達することもなかったでしょうし、さらには、その教えによってたくさんの人が救われることも、そもそも玉水教会がこういう形であったかどうか。私がここにいるかどうか。

 こう考えていくと、三代金光様のお取次の、いやご神意の深さ、測りがたさにただただ恐れ入るばかりであります。
(この「教風」は、2008年2月に掲載されたものです)
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