「教風」 (連載第34回)


信心、老いての楽しみ


 婦人会で三代大先生の『道しるべ』を読んで信心の研鑽(けんさん)をいたしました。昭和六十三年、その十数年前の初代銀座の先生の最晩年のお姿を思い起こしてお話しをされた箇所です。

 湯川誠一先生は初代大先生の三十年祭に、二月一日二日と両日に亘ったお祭りの祭主の御用を勤められました。ところがそれはそのころの先生の健康状態では、普通ならとても無理なことでした。病気のお体をおして大阪まで来られ、一時入院して教会へお出でになったのでした。導尿の管もしておられたようです。大変な痛さのはずですが、そんな様子にはまったくみえなかったそうです。そして一世一代のその御用を無事はたされ東京に帰られました。

 それから二カ月後療養されて少しは健康が復されたとはいえ、とても十分とは言いがたいお体で、また大阪に春のご大祭のため来られました。その日は大祭前日で、出社の先生方が信心の研修会を催していました。先生は周囲がお止めする間もなくその研修会に出向き、ほかの先生の問題提起にこたえたり、ご自身の頂かれている信心を話したり精力的にされました。何とかしてご自身が初代大先生から頂いた信心を次の人々に伝えたい、わかってもらいたいという熱意が先生の体からあふれるようであったといいます。

 銀座の先生のその姿にとりわけ感銘深く感じいっておられたのが三代大先生でした。昭和十二年、八歳のとき東京に行って以来親同様に育(はぐく)んでくださった先生が命をかけて話されているのです。誠一先生の一挙手一投足、一語一語が三代大先生の胸にしみ通っていったのでした。三代大先生によれば、銀座の先生は、
「二十歳代で信心がわかったと思っていたが三十代になるとわからないようになり、それで一生懸命に求めて、またわかったつもりでいたが、四十代になると、このわかり方では十分でないと気づき、勉強した。そういうことを続けて自分はいま八十歳を過ぎているが、わからないことがたくさんある。だから勉強している」
と話されたそうです。いつもいつも信心を追究されていた先生のお姿が浮かびます。

 ○この年になって、といわれるが
 八十歳代、なかには九十歳代になってもお元気でお参りされる方は少なくありません。ところが、そういう方のなかにはお結界へ来て、いろいろお届けされてから、「先生、この年になったらもっとゆっくりできると思ったのに、孫のことや曾孫(ひまご)のことまで次々問題ができてきてとても楽するどころではありません」と不服そうにおっしゃる方もあります。確かに気持ちはよくわかります。これまで戦中戦後ずっと歴代大先生のお取次を頂いて苦労して、さあ悠々自適に、と思ったら結局自分が一生懸命お参りしてお願いしなければならない立場になっている。年をとっているのにしんどいことや、ということでしょう。

 しかし考えてみてください、失礼ながらそのお年では息子さんと一緒に働きにいくことはできません。できることは手を合わせることだけかもしれません。しかし信心ができるとは大したことではありませんか。

 銀座の初代先生は、高齢で病気に冒されてもなお信心を求めつづけ「まだわからないことがある」と勉強されていました。年取ったら信心も一服ではなく、若いとき同様、いや若いとき以上に打ち込んでいただきたいと存じます。それがこのお道を信心する人の行き方だからです。

(この「教風」は、2008年4月に掲載されたものです)
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