「教風」 (連載第35回)


天地書附


 秋のご大祭、生神金光大神大祭の当日に、ご神前(お扉の内側)に教祖様ご真筆の掛け軸を掲げさせていただいています。正式には神名書付と申し上げるものです。この軸については今月号の「散歩道」で詳しく記しましたのでお読みください。
 神名書付をお書きになっては信者さん方にお下げしておられた教祖様でしたが、やがて明治六年四月に、天地書附が神様から定められます。

 今でも地方の旧家に参ったりしますと、床の間に、「天照皇太神」と、中央に書かれた掛け軸がかかっているのを目にすることがあります。これは三社の託宣と呼ぶのだそうですが、こうした掛け軸と天地書附には大きく違うところがあります。

 それは神様のお名前ばかりでなく、
「一心二願え おかげハ和賀心にあり 今月今日でたのめい」
と金光教の信心の神髄がかいてあるという点です。

 今日では本部広前はじめ新しく開設したり立て替えた教会の多くが、玉水教会のような形式、つまりお扉の内らに御帳台をお祀りして、そのなかにご神璽を奉斎するという形式ではなく、ご神前の中央に天地書附のみを掲げるという奉斎の仕方に変わってきています。

 つまりその意味は、単に神様を拝むということに止まらず、信心そのものを拝していくということではないか、と私は思います。

 初代大先生の時代にはそのようなお祀りの仕方はありませんでしたし、そもそも天地書附そのものも現在のように金光教の要諦を示した至高のものという位置づけではありませんでした。

 しかし初代大先生は、はっきりと「一心に願え」以下の御教えを、金光教の御神体である、と言いきっておられます。つまり生神金光大神、天地金乃神は向こうに祀る神様、「一心に願え」以下は自分の心に祀る神様、と説かれています。

 ○形式ではなく心の持ち方
 お結界に座らせていただいておりますと、いろいろな方がお届けに参られますが、中には自分で病気をつくってしまう方がいます。自分はこんな症状があるが、これはなにか得体の知れない悪い病気の前触れではあるまいか、などと考える。すると最近はインターネットをはじめ便利なものがありますので、即座に最新の医学情報に接することができます。「ああ、自分の症状のこの部分はこんな病気にあてはまりそうだ」と、詳しく調べてお結界に持参されたりします。日頃お参りしていても迷うのです。

 そして「先生、どんなお願いの仕方をしたらおかげいただけますか」とおたずねになる。
「どんな」と言って特別なお願いの仕方などないのが金光教の信心です。大切なのはお願いの仕方、形式ではなくて、お願いをする心の持ち方にあるのです。それを書いてあるのが天地書附なのです。「一心に願う。おかげは神様次第ではなく自分の心次第、つまりわが心にあるのだよ」と、教祖様ははっきり大書して示して下さっています。

 玉水教会でも天地書附は奉掲してありますし、日々のご祈念でもお唱えしております。

 それでもわたしたちは迷うと、つい「おかげをいただく特別なお願いの仕方があるのでは」なぞと思ってしまうのです。

 教祖様の御教えも初代大先生のお話しも繰り返し繰り返しこのことを教えてくださっているのです。わたしたちも十分知っているはずです。
 毎日口先ばかりでなく真剣に天地書附をお唱えし、また目でなぞって心でいただいてまいりましょう。
(この「教風」は、2008年5月に掲載されたものです)
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