「教風」 (連載第36回)


借 金


 今年の春は、まことに結構な春でした。穏やかで過ごしやすく気分爽快で、例年にない、言うことなしの春でした。――とこう申しますと私の周囲の人は、私が陽気のことだけを言っているわけではないことを察してニヤニヤすることでしょう。

 そうです。今年の春、プロ野球わが阪神タイガースは絶好調。いつもの年ですと出足はよくても、すぐにつまづき、勝率五割を割り込むと借金が出来た、と申しますが、その借金を返してはまた借金をしという具合で、貯金がたまっていくという風にはなかなかならないことでした。それが今年は、余裕ありという、まことにわが世の春です。

 私が阪神タイガースのことをお話しすると、途端に負け出すというジンクスがあり、野球のたとえ話は、これまで封印してきました。「でも、まあ、今年は」という気にもなります。

 さて、現代の世の中は露骨な言い方を避けてソフトな表現に言い換えるという傾向があります。「借金」というのもそれで、現在は住宅ローンとかカードローンとかの語に置き換わっています。

 ローン返済というと、給料から意識しないうちに引かれて時間さえたてば自然に消えていくものと言った語感さえあります。実際には厳然とした借金なのですが、受ける感じは相当違います。

 野球で「借金」というむき出しの言葉に突き当たりますと、厳しいなあとひときわ感じてしまします。

 ○「天地と借金」
 初代大先生は、この借金に十三の歳から苦しんだのでした。サラリーマンのように一定の収入が約束されていない、明日はどうなるか分からない商売の中で、借金を返していくのは辛いことです。十三歳ですから自分の失敗ではない、先祖からの借金です。そこから始まり、結果として十三から三十六歳までの間に借金で苦しまなかったのは、たった二年間しかなかった。あっちで三ヶ月、こっちで二ヶ月とつまみ拾い合わせてもそれだけしかなかった、とおっしゃっています。

 三十六歳で「神様がご主人、自分は奉公人」の境地に進まれてからは、どうであったか。借金から逃れる道に行きついたが、今度は子どもが次々に亡くなります。これはメグリのお取り払い、先祖代々の「天地への借金」があるからでした。

 考えてみれば初代大先生の一生の大半は、借金また借金の日々でした。しかし野球の借金とは違って、信心による天地への借金の返済は、ただなくなっていくというだけでなく、逆にそのまま天地への貯金にかわっていくというボロいものなのです。

 そしてその貯金は、「先の世までも持っていかれ、子孫までも残るもの」である、と教祖さまは教えて下さっています。野球の貯金とは違いそうそう簡単には消えていかないものです。

 信奉者の方の中には、借金を減らそうと懸命に取り組んでおられる方もあります。また親たちが苦労したおかげで天地への貯金により恵まれている方もおられます。

 しかし、いくら消えにくいものだといっても、今都合よくいっていることにかまけて、うわべばかりの信心でのほほんと過ごし、天地への貯金を食いつぶしているようでは困ります。私自身も、もちろん常に自戒しているところです。

 「まことの信心をして、まことのおかげを受けよ」との初代大先生の御教えをしっかりと心にきざんで、この貯金を少しでも増やしていただくよう努めてまいりたいと存じます。
(この「教風」は、2008年6月に掲載されたものです)
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