「教風」 (連載第38回)


本部広前


六月の下旬のこと、数日後に会議を催すので、というご本部からの連絡がはいりました。用事もたてこんでいたので一瞬お断りしようかとも考えました。しかしそういう時だからこそしっかりと本部広前でご祈念させてもらおうと思い返して出席の返事をし、当日は早めに参りました。
 お参りしてご本部のお広前に座ると「ああ、やっぱりご本部はええなあ」と思いました。

 しかし私がご本部のありがたさに気づいたのは学院に入ってからでした。

 それまでは玉水教会の団体参拝でお参りするばかりでしたので平日の金光の町を知りませんでした。平日のご霊地は人っ子一人通らずシーンとしています。町内を通ってお広前に上がると参拝者はぽつりぽつりというところです。ご神前を仰ぐと、がらんとした空間に天地書附が掲げてあるばかり。そして八足台には一対の御神酒錫があるだけで荘厳という感じは全くありません。

 誇張していえば学院に入ったときの私の印象はこんなものでした。
 金光様のお取次ということも実際にはよくわかっていませんでした。ですからお出ましをいただこうと誘われたときも興味半分のような気分でついていきました。ありがたいだろう、と言われればそうには違いないけれども……。それがお出ましを毎日いただき、金光様を拝し本部広前になじんでいくうちに思いが変わっていきました。

 ○玉水とはちがうご祈念
 学院では他宗教研修という行事があり、私たちの年は奈良、京都にある他教団の施設を見学しました。金光教とははるかに違う圧倒されるようなスケールの建築や長い歴史に培われた伝統の重さには驚かされたり心打たれたりしました。

 しかし金光に帰って来て本部広前に座ると「金光はええなあ。こんなええ教団はないなあ」と心から感じました。何といってもお結界にいつも金光様がおられます。そのありがたさ。そんな宗教はほかにどこにもないのですから。はじめは「なんやガラーンとしたものやなあ」と思ったご神前もありがたく拝めます。

 大体私は本部広前に参ると真ん中へんに座ります。こうするとご神前ご霊前を拝むことができ、お結界の金光様も視界に入ります。そして信者さんのお願いを力入れて真剣にご祈念する玉水での祈り方と違い、まずはゆったりとした気持ちになってボウーッとします。お広前の空気に浸るようにボウーッとしているうちに自然にお願いが次々にうかんできます。そこでひとつひとつご祈念をさせていただく、ご本部での私の祈り方はそんなふうです。

 いまでは「人の通らない寂しい町やな」とは思いません。金光に降り立った途端、神様の教祖様のお徳を感じます。ご霊地には玉水教会とはまったく違う独特の雰囲気があるようです。

 人を包み込むような、ゆったりさせるような、大きな大きな天地の働きのおおもとにつながっていくような感覚をもちます。そこに教祖様のご分身のような教主金光様が片時も離れずお座りくださっているのですから尊くないわけはありません。

 信者さんのなかには玉水のお広前に参っていれば十分だ、という考えの人もいるようです。

 しかし、それではあまりにももったいない。
せめて月に一度のご本部参拝にはかかさず加わってご本部のお徳を身に受け、素晴らしさを実感していただきたいものと存じます。
(この「教風」は、2008年8月に掲載されたものです)
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