「教風」 (連載第41回)


金光様と大先生


 初代大先生が最後にご本部参拝されたのは、昭和十八年十二月のことでした。その折りのことは、当時学院生だった吉田宏先生(先々代の生田教会長)が詳しく書き残されています。

 その時に、吉田先生がとりわけ興味津々であったのは、生神様であられる三代金光様に、生神様の大先生がお取次いただくとはどのようなことなのか、ということでした。そこでご無礼とは思いながら頭を下げている大勢の参拝者の最後尾で中腰になって三代金光様と初代大先生の様子をじっとうかがっていました。

 するとお二人は「頭がゴッツンコ」するのではないかと思われるくらい顔を近づけてお話になっています。金光様は御結界の横からお顔を出して膝までこちらに向けていらっしゃいます。大先生もお結界に顔をつっこむようにしておられます。
 ご機嫌麗しい三代金光様のお声とお姿、その金光様を頂ききった感の初代大先生。吉田先生は、お二人の心通い合う様子に深い感動を覚えたと語っておられました。

 ○現教主様と三代大先生
  私はこのお話を読むと、いつも三代大先生の最後のご本部参拝のことを思い出してしまいます。
 三代大先生に病気が見つかり手術されたあと、養生中の大先生の一番の願いは六月のご本部・教団独立記念祭になんとしても参拝したいということでした。

 実はこの年、大先生は教師に補任されて四十年を迎えられ、そのお祭りで金光様から四十年の褒賞を頂くことになっていたからでした。

 願いはかない、病状が落ち着いて大先生はご本部にお参りできました。考えてみれば、あれからもう十年になるわけですが、あの時のひとこまひとこまを、私は昨日のことのように覚えています。

 前夜に金光教学院同期の先生方で催された会に出席された大先生、祭場での大先生、お広前で金光様にお取次を頂かれる大先生。特にお結界で金光様にお届けされたときの、感激で紅潮した大先生の顔は忘れられません。

 現教主金光様と三代大先生は学院で同期です。青春の多感な時期に同じ屋根の下で過ごした者同士は一生心が通い合うことが多い、と申します。現教主・金光平輝先生と大先生もそういう間柄のようで厚いご友誼を頂いておりました。

 三代大先生の見事なところは平輝先生が五代金光様になられると、けじめをつけてあくまで金光様として頂くようになられたことです。

 それまでの心通じる大切な方という感情よりも、お取次下さる至高の方として頂こうと切り換えて信心を進めていかれたのでした。とはいえ大切な四十年の褒賞にお参りでき、四十年間なにもかもご存じの金光様の前で三代大先生も特別な感情があふれたのでしょう。
 奇しくも、初代大先生が最後に三代金光様にお目にかかったのは、初代大先生が土佐堀裏町で布教布教に立たれてからほぼ四十年後のことでした。初代大先生が三代金光様から「人がかれこれいえば時期ですから」と、お道のご用を促されたのは明治三十八年(一九〇五)早々のことでした。昭和十八年は満三十八年後にあたります。

 私の気持ちのなかで初代大先生と三代大先生が二重写しになったのですが、色々調べたり考えたりすればするほど、初代と三代の金光様の頂きかたには、深く相通じるところがあったように思えてなりません。

(この「教風」は、2008年11月に掲載されたものです)
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