「教風」 (連載第44回)


「信心の四つの目的」をしるべにして


 今年は三代大先生の十年、初代大先生六十五年のお年柄となります。そして布教百四年目ともなります。「玉水百年」からすでに四年がたったわけです。
 百年祭から私は初代大先生の「信心の四つの目的」を掲げて信心のしるべにと申してきました。初代大先生のお日柄に改めて「信心の目的」をいただき直したいと思います。

「常に心を清らかに持たしていただくために」

 今年も一月三日に合同初会を催しそのなかで米寿、長寿の方たちをお祝いいたしました。お世辞でなく毎年思うことですが、信心しておいでになる米寿、長寿の方々は若々しい。世間一般の方とは違うなあと感じます。やはりそれはいつも神様に心を向けているからであり、ということは心のなかがいくつになっても清らかであるためでしょう。そうした心の持ちかたは自ずと外見に現れるものだからです。

「角立つ心を丸くするために」

 教祖様は繰り返し「和らぎ喜ぶ心」「ありがたく嬉(うれ)しく」「腹立てぬよう」と繰り返し教えて下さっておられます。そこを大先生はこのようにユーモラスに表現されました。世の中は、腹立つこと、文句の言いたくなること、筋の立たぬことばっかりです。ですが信心する者は、そこばかりを見てはなりません。半面喜ばねばならないこと、感謝すべきこともたくさんあるはずです。腹たつことではなく感謝すべきことを見るように努めていくのが信心です。

「災いを転じて仕合わせにさしていただくために」

 角立つ心も丸くするように努めて信心していくと運命が変わります。初代大先生は幼くして父親と死に別れ、また自分は身を粉にして働いたにもかかわらず勤め先が二度もつぶれる、という不運にあいました。さらに結婚しても次々に子供に死なれるという辛い経験をなさいましたそれでも信心生活を進めてき、ついに悪い運命を良い運命に切り換えていただくという究極のおかげを頂くことができました。信心とはほんとうに大したものです。

「自分の役割を明らかにして責任を果たさせていただくために」

 初代大先生は信心の目的をただ自分がおかげをいただいたという次元で止めません。さらに一歩奥へと私たちを導きます。自分の役割とは相手があっての話、家庭があって会社があって社会があっての話です。子としてあるいは親としての役割、従業員としてあるいは社長としての役割、その役割を全うすることはいわば当たり前です。信心していない世間の人だってそうでしょう。信心の世界では従業員でも常に会社全体を意識して責任を果たす、祈っていく。商売していても自分の利益ばかり追求せず相手の助かりを祈り景気回復を祈っていく、ということです。

現在は百年に一度の不況とさえ言われる厳しい経済環境です。信心している者としての役割を果たさなければなりません。それは社会のことを祈っていく、世界のことを祈っていくことです。
「信心の目的」とはそれだけ深く広い標(しるべ)であります。進んでいけば行くほど大先生の信心のお言葉の深い味わいがかみしめられます。
今年も「信心の目的」をもとに信心を進めてまいりましょう。

(この「教風」は、2009年2月に掲載されたものです)
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