「教風」 (連載第45回)


まことの信心 まことのおかげ


 昭和五十六年六月、二代大先生がご本部の控所で倒れられました。三代大先生はすぐに本部広前に参って四代金光様に病気全快のお取次を願われました。

 すると金光様はご不快で、たしなめられました。「お取次を願うにはそれなりの順序がある。いきなり病気全快の願いをしては順序を踏んでいるとはいえない。まずここまで御用に使うていただいた御礼。同じ倒れるのでもご霊地でしかも家族に囲まれてであったことの御礼。いくらでも御礼申すことがあるのにそれを飛ばしていきなりお願いをするとは、それでもお前はいつも羽織袴(はかま)をつけて信徒に信心を教えている身といえるのか」と言うふうに大変手厳しく叱(しか)られたのでした。

「親の命がかかっているという状況の中なのだから、そんな順序や手続きのようなことをおっしゃらないでも」と、そのときは三代大先生も思ったようでした。しかし落ち着くにつれ、四代金光様の御礼をまず第一にという信心が三代大先生の心に染み渡っていったようです。

 このお話を三代大先生はよくお話しになりました。御礼をいうということはなかなかできにくいことです。あえてご自分を例にしてお話しになったのではないかと私は思います。

 私も四代金光様から直接教えていただいたことがいくつかあります。たとえば金光様は、「私は下駄(げた)をはくときにもいつも御礼を申してはく。しかしそれはすぐにできることではない。信心の稽古(けいこ)をして何度も何度も取り組んでいるうちに身についていくものなのだ」と教えていただきました。

 教祖様も「願うことはすぐにできても御礼は言えぬものかなあ。お願い一ぺんに御礼十ぺんというように、御礼を言う心が篤(あつ)いほどご信心が篤い」(『教典』尋求教語録)と教えて下さっています。

 ○二代大先生のご祈念
 二代大先生のご祈念の姿は私もよく覚えています。当時は自覚的に信心を求めるまでにはまだまだ至っていなかったので、「とにかく長い」とそればっかり思っていました。教祖様の奥城(おくつき)で、また瓜破(うりわり)のお塚でご祈念される二代大先生のそばに立って「いつまでご祈念が続くのかなあ、何をこんなに長い間ご祈念してはるのかなあ」と、そればっかり考えていた記憶があります。
 いまこうして二代、三代大先生の跡を継ぐ立場に置かれて私が思うことは、たしかにたくさんの信者さんのこともあのご祈念の中で願われていたことは確かでしょう。でも、あのご祈念の中身の多くはじつは御礼ではなかったかと私は推察しています。

 神様への御礼。歴代金光様への御礼。そして大恩人である父・初代大先生への御礼と、かずかずの御礼を丁寧に丁寧になさっていたのではなかったかと思います。三代大先生が布教百年祭に向かって掲げられた「まことの信心 まことのおかげ」。その「まことの信心」の一番根本にも御礼の信心、ということがまずあると言えましょう。

  歴代大先生が求めつづけた御礼を申す心。私たちに繰り返し繰り返し説いてくださった御礼の信心。わたしたちも改めて思いあらたに取り組ませていただき「御礼をいう心が篤いほど信心が篤い。信心が篤いほどおかげが篤い」という教祖様のお言葉を現して参りましょう。

(この「教風」は、2009年3月に掲載されたものです)
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