「教風」 (連載第46回)


祭詞を奏上する心


 例年二月は、一日(おついたち)の初代大先生のお祭り、二日の墓前祭がすむと、あとは教会行事が少なく、じっくりお広前に腰を落ち着けてお取次に励ませていただくことのできる時でもあります。

 ところが今年はそうはいきませんでした。まず四日には広島に参りました。御幸教会の出となる庚午教会の新見隆司先生が亡くなってのお葬式でした。庚午教会は玉水教会の孫教会にあたりますが、新見先生は、玉水教会の熱心な信徒であった伯母さんのお導きによって信心をはじめられたことから分かりますように玉水教会ともご縁の深い先生でした。

 さらに十二日には東京の雪ヶ谷教会の金子孚先生が亡くなりお葬式に参りました。

 新見先生は長く養生しておられましたが、金子先生は二月一日の初代大先生のお祭りに装束をつけられ、また二日の墓前祭にも参拝しておられたのでびっくりしました。

 金子先生は銀座教会の初代教会長夫妻の薫陶を受けられた先生で、ことに祭詞制作に堪能な方でした。銀座教会はもとより玉水教会でも大きなお祭りのときにはいつも祭詞に目を通していただき助言をいただいておりました。

○信直先生のお葬式で
 私が一番思い出深いのは三年前の銀座教会二代教会長・湯川信直先生のお葬式でのことです。

 祭詞は本来奏上する本人が制作するものですが、信直先生のお葬式では故人のことをよくご存じで、祭詞にも造詣(ぞうけい)が深い金子先生にお任せいたしました。

 ところがその金子先生が当日なかなか銀座のお広前に姿を現さないのです。祭詞は金子先生が自身で清書して持参されることになっていました。 金子先生は筆を持っても達筆な先生でした。

 ただし達筆であるということと読みやすいということとは実は同一ではありません。むしろ子供の書くような字のほうが読みやすいのです。

 それまでに金子先生の書かれた祭詞を読んだことは何度もありました。漢字よりもひらがなの方を読み間違ったりします。なれていないからです。ですから私は早く祭詞を手許にして読みこなしておきたいと思っていました。銀座の先生のお葬式です。全国から先生方が大勢いらっしゃいます。たくさんのお参りもあるでしょう。読み間違えたら大変です。

 それが一時間前になって、そろそろ祭員の先生方が装束を着けようという時間になっても来られず、あたふたと駆け込むようにして来られたのは三十分前でした。私はあわてました。金子先生を横にして声を出して下読みしていくと、何と途中でボールペンの下書きのままになっています。とりあえず読みにくいところには自分で印をして斎場に参向しました。何より神様に間違いのないようお願いしました。

 奏上していくうちに始めは間違えないようにとかたくさんの方が聴いているからとかいう意識が抜けず、肩に力がはいっていましたが、次第に緊張が解けていきました。金子先生が私の立場になって精魂こめて創造された世界に自然に入っていきました。

 私自身も素直な気持ちで故人の湯川信直先生に直接に切々と申しあげているように奏上させていただきました。信直先生もそれを気持ちよく受けて下さっているように感じられました。悲しいことは悲しいけれども、なにか心が通い合ったような不思議な思いがしたことでした

(この「教風」は、2009年4月に掲載されたものです)
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