「教風」 (連載第47回)


先導に導かれる幸せ


お結界である信者さんが、はじめて登山したときのことを話してくれました。

 「はじめてのことですから、きつい登りが続くといったようなことではありませんでした。それでもガイドがつき、『はじめての方は、私のすぐ後ろを歩いて下さい。そして私の踏んだ所をなぞるように踏んで下さい。そうすれば必ず頂上へ着けます』と言われました。

 そこで先導の人の歩く通りに歩いて行きました。しかしその歩みは遅くまどろっこしく、私はもっとしっかり歩けるのになあ、と思い始めました山歩きに慣れた人は勝手に自分のペースで歩いていきます。時にはさっさと近道のようなこともしています。あのほうが楽やないか、と次第に思うようになりました。

 やがて、自分なりに山歩きの仕方も大分呑み込めてきたように思い思い切って先導の方の後ろを歩かずに、自分が良いと思う所を登り始めました。

 ところが横で見ているのとやってみるのとでは大違いでそれはかなりきつい道でした。どうにか登っていたのですが途中で遂ににっちもさっちもいかなくなりました。どうにも前に進むことはできず、と言っていったん下って元の所に戻ろうにも、後ろ向きでは降りることもできないのです。

 先導の方は私がついてくるものと思っていますからどんどん行きましたが、途中で後ろにいないことに気づいて探してくれ、立ち往生しているのを見つけてくれました。

 そして上からやっこらさと引っ張りあげてもらい、やっとのことで窮地を脱したのです。

 この話を聞いていて、「信心と同じやなあ」とつくづく思いました。「信心していてもなかなかおかげにならないことがある。まわりをみると世間の人たちは結構うまくやってはる。神様にお願いして引っ張ってもらうなんてまどろっこしいことせんでも案外うまくいくもんと違うか、とふと思う。で、やってみると、立ち往生してしまう」なんてことがよくあるようです。

 この神様の後ろにぴったりとくっついていけばたとえ遠回りのようでも迂遠(うえん)なようでも必ず頂上につれて行ってもらえるのです。わたしたちはそのことを常に肝に命じておかねばなりません。

○初代大先生の教祖奥城(おくつき)でのご祈念
 初代大先生は教祖奥城でも激しいご祈念をよくなさったようです。当時書生だったある先生は、初代大先生が何かおっしゃりながらご祈念されているので何を祈ってらっしゃるのかと、そうっと後ろに回って聞き耳を立てていると、その内容は、「教祖様がお出まし下さってお道を開いて下さったからこそ自分も湯川の家も助かることができました」そのことを繰り返し繰り返しほとばしるように御礼申し上げておられたということでした。

 私たちが、登山で言えば先導に当たる生神金光大神様のお導きを受けられるようになったということは大変なことです。しかし、そのことをいつもいつも新鮮な思いで感動をもって御礼申せるということは、やはり初代大先生は素晴らしい信心をされていたと改めて思います。私たちも大先生をならって、心から御礼が言えるような信心をさせていただきたいものです。

 特に今年は秋に立教百五十年生神金光大神大祭が仕えられます。ひとりでも多くの方が一緒に団体参拝できるように、形に現した御礼ができるおかげをいただいて参りましょう。

(この「教風」は、2009年5月に掲載されたものです)
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