「教風」 (連載第48回)


音が鳴らないのがおかげ


 銀座教会二代教会長・湯川信直先生の三年祭が五月八日に銀座教会にて執り行われ、祭主のお役を頂いてご奉仕のおかげを頂きました。その折りに刊行された先生の教話集『天地に生かされて 第二集』に「器用貧乏」のお話が載っていました。

 典楽の話で、私はよく分からないのですが、典楽の楽器は初めから誰(だれ)でも音が出るとは限らないのだそうです。人によってはすぐ音が出る人がいるかと思うとなかなか音が出ない人もいる。理屈で説明したところで実際にやるのとは違い、本人の感覚ですからむずかしい。
 ところが、得てして初めに音の出た人よりもなかなか音が出ず先輩をやきもきさせたような人の方が楽人さんとして一人前になっていくようだと先生は言われるのです。

 先生もご自身のことを振り返って、自分は典楽でも初めから音が出たし、また吹奏楽の楽器も興味をもっていろいろ試してみたが、どの楽器も初めから音になった。それでも結局どの楽器もものにはならなかった。世の中に器用貧乏という言葉があるけれども、あれもできるこれもできるという人は案外どの道でも大成しない人が多い。典楽の楽人さんもその例にもれず、箸にも棒にもかからなかったような人が黙々と練習して立派な楽人となっていくのを多く見たとおっしゃっています。

 信心も同じことで、とお話は続くのですがなるほどと思いました。

○師匠は神様
 初代大先生の信心は楽人さんの笛に例えたら、最初からあまり音が鳴らなかった、ということになるでしょう。確かに、一番初めは大病をみごとにおかげ頂いて、音が鳴ったように思えました。しかし、そのあと奉公先はつぶれるし商売を始めてもお金で苦労しどおし、そのうえ授かった子供さんが次々亡くなるという、まったく「音の出ない」状態でした。
 しかし、にもかかわらず黙々と練習を続ける安太郎青年でした。また安太郎青年の信心には師匠らしい方は見当たりません。典楽でしたらありえないことでしょうが、私は実は安太郎青年にも師匠はいたと考えます。それは神様です。

 たとえば、お参りが損か得か、そろばんをはじいてみるという話があります。お参りする期間、しない期間を半年ごと、月ごと、十日ごとに繰り返して実験してみると、確かにお参りする方が得だ、と出ました。神様は結果を数字にしっかり出させて「お参りは金儲(かねもう)け」という信念を植えつけます。

 信心友達と交際して戸別訪問すると、教会で少しくらい口をきくだけでは分からないその人の信心の欠点や逆に良い所がひとつひとつ見えてくるということもありました。これも神様が安太郎青年のもつ問題意識に合わせて納得いくようにそれぞれの人の信心の長所や短所をみせて下さったのではないでしょうか。
 神様という師匠は、まわりの人が「うまくなったな」と感じるように小器用に目先の上達はさせはなさりませんでした。しかし、安太郎青年が手応(てごた)えを感じ、ますます練習に励もうと燃えさせるような導き方をずっとされたように思えます。

 後年、初代大先生は「もしあのころその時々の心のひねり方を手帳に控えておったら日本一の話ができるのだが」とおっしゃっていました。神様と首っ引きで歩んだ練習の日々を懐かしむお気持ちと、導いて下さった神様への感謝が感じられる言葉のようにうかがえます。

(この「教風」は、2009年6月に掲載されたものです)
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