「教風」 (連載第50回)


心をこめた日参


  今年秋のご本部大祭は「立教百五十年 生神金光大神大祭」として仕えられます。一人でも多くの方たちが玉水教会参拝団としてお参りできるように願っております。
 教祖様が親神様からお広前に専念するようにお知らせを頂かれ、その願いを受けて終日お取次の御用をなさるようになったのは、今から百五十年前の十一月十五日のことでした。

 そこで十一月十五日にはご本部で「立教記念祭」が仕えられます。この日も玉水教会では団体参拝させていただきます。
 さらに、その十一月十五日に至る百日間を「立教百五十年信行期間」と定めて、信心生活の展開に取り組むようにと、ご本部から指示が出されました。

 玉水教会では「毎日参拝する(日参)」ということを目標に取り組みます。そして四年前になる布教百年祭の百日信行の折、初代大先生の御教えを日替わりで掲示しましたように、今回は教祖様の御教えを掲示いたします。大阪センター発行の「気づきのノート」(信徒会事務所で百円で頒布中)もご利用ください。

 玉水教会のご信者さんの多くは毎日参拝されますので、「御教えを写すくらいで特別なことはしないのか」と思う方もあるかもしれませんが、そうではありません。「お参りする」ということの内容を深く掘り下げ充実して行きましょう、ということです。

○学院で初めて知った「参拝」
 私は玉水教会で生れ育ちましたので、参拝ということを知りませんでした。同じ屋根の下を移動してお広前に入るだけです。特別な思いを持つ暇もありません。参拝ということを実感したのは金光教学院に入ってからでした。

 とりわけ心に響いたのは早朝の金光様のお出ましを頂くことでした。お出ましを頂くと、睡眠不足でその日の学業に障りがでるかもしれません、禁止もされないかわりに奨励もされない、まあ、黙認ということでした。

 ですから有志で参拝します。こっそり起きて回りが目を覚まさないよう音を立てずに着物に着替えます。抜き足差し足で廊下を歩き、そうっと戸を開けて出かけます。

 そのありがたいこと、楽しいこと……。
 金光様が毎日お出ましになる、そのことがありがたいというより、自分が参拝できるということが、まずありがたかったのでした。
 それまで参拝とはお広前に額(ぬか)づいて拍手を四つ打ってその瞬間から始まるものだと思っていました。でも、それは違うと気づきました。朝目が覚めて「さあ今日もお参りしよう」と、そう思ったときから参拝は始まっているのです。なぜならそのときから心が神様へむかっているからです。

 お参りの道中も立派なお参りのうちです。
 ある信者さんがこのことに気づき、それまでは地下鉄で座ってぼうっと過ごしていたお参りの道中を「座らずに立って『信話集』を開けて少しでも信心が充実するように努めております」と話して下さいました。
 立派な工夫だと思います。

 たくさんの信者さんが日参をされているのは素晴らしいことです。しかしその内容が漫然として気が抜けているようでは困ります。一日一日のお参りを気持ちのこもった充実したお参りにさせてもらえるように、この百日信行で取り組ませていただきましょう。

(この「教風」は、2009年8月に掲載されたものです)
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