「教風」 (連載第52回)


御教えを守る


  立教百五十年の百日信行の一環として、お火鉢のわきに教祖様の御教えを毎日一つずつ掲示しています。書き写されている方も多いことでしょう。もちろん御教えですから実行しなければ何もなりません。
 初代大先生の時代には教祖様の御教えは現在と違いほとんど知られていませんでした。初代大先生がはじめて教典に接して、「なんや格言集のできそこないみたいやなあ」と思われたというのはほんとうに薄っぺらなものだったからでもあります。ところが、そのわずかの御教えが、守ろうとすると大変にむずかしい。一つとしてなかなか実行できない。そこで初代大先生は、信心の深さと難しさに気づかれるわけです。

 さて、教祖様の御教えのなかで私たちが一番よく知っているのは食事訓の御教えでしょう。

「食物はみな、人の命のために天地乃神の造り与えたまうものぞ。何を食うにも飲むにも、ありがたくいただく心を忘れなよ」(食前訓)
「体の丈夫を願え。体を作れ。何事も体がもとなり」(食後訓)

 この食事訓の御教えを例にとって考えてみましょう。
 ○普段は捨ててしまうが
 今夏もスカウトのキャンプが行われ、私もその一部に参加しました。先月号の『あゆみ』に写真を掲載しましたので元気な子どもたちの様子をごらんになってくださったことと思います。

 現代の子どもさんたちは、いわば快適な生活に慣れっこになっているので、キャンプにくるともう大騒ぎの連続です。なにしろふだんは、公園のトイレにクモの巣がはっていたから使えないと思うような子どもたちです。
 一番大変なのが食事です。まず限られた道具で子どもたちが作るのですから、食べられるようなものができ上がるかということがあります。

私はガールスカウトの食事に合流したのですが、御飯が固かったことを除けばまずまずでした。それでもいつもだったら、ああいう固い御飯には手もつけないでしょう。スカウトの子どもたちも、食事訓を唱えた手前か、みな神妙に食べていました。

 また暗くなると光に虫が群がってきます。特に女の子には嫌なことでしょう。

 私の隣に座って食べていたジュニアの子のコップにも小さな虫が入ってしまいました。どうするのか見ていると、手を突っ込んで虫をつまみ出し、あとは平気でそのお茶を飲んでいました。「おお、たくましいなあ」とうれしくなりました。ふだんは捨ててしまうような場合でもキャンプだと平気で飲めるんだと感心しました。

 キャンプのような特別な環境、特別な時間ならば子供たちでも食物の尊さ、ありがたさが実感できるのです。

 私は祖父である二代大先生、父である三代大先生が、食事の前には常に神様に感謝の祈りを捧げてから箸(はし)をとる姿をずっとみてきました。

 それなのに、正直申して私自身がものを頂く前に必ず、忘れずに感謝しているかというと、かなり怪しいのです。それではキャンプのときだけ食事に感謝する子供たちと変わらないではないか、と反省しました。食欲にかまけて箸をとってしまうとき、私の心のなかには神様がいないのでしょう。
 たったひとつの、誰もが知っている御教えですが、いつも自分の心に神様にいていただく道であることには変わりはありません。

(この「教風」は、2009年10月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧