「教風」 (連載第54回)


もう一度お結界に



 ご承知のように今年は立教百五十年のお年柄です。玉水教会では、十月のご本部の立教百五十年生神金光大神大祭に、団体列車その他により八百名を超える参拝のおかげをいただきました。

 さらに玉水教会にとって今年は、三代大先生十年のお年柄でもあります。この十三日がお日柄日ではありますが、ご本部で布教功労者報徳祭が執り行われる都合により、六日に十年祭を挙行いたします。

 最近、三代大先生と学院同期生でもある教友の先生から、「見舞いに伺ったときに『もう一度お結界に座りたい』と言うておられたなあ」と聞かされて、胸を衝かれるような思いがしました。

 私や家族には一切そのようなことは話されませんでした。しかし、「ああやっぱりなあ」と思う節も多くあります。

 ○お結界にかけるお姿
 かねてから大先生は自戒の意味をこめて「金光教の教師は世の中のことをもっと勉強しなければならん。お取次とは厳しいものだから」という意味のことを折々に申されていましたが、昭和五十六年、思わぬ展開から関西金光学園(当時は浪花金光学園)の理事長をお引き受けすることになりました。

 玉水教会の土地を担保に二十億を借り入れて金光大阪高校(当時は金光第一高校)を建設、その後も中学、高校、大学まで次々に開設されました。ことに二十億の借金を背負い、それを完済するまでの困難は並大抵のことではありませんでした。その経緯は、十年祭に皆様にお渡しする偲び草の写真集に記しましたので、是非お読みください。

 私は、このお金に関するご苦労は神様から与えられたもので、初代大先生のお金にまつわる信心の授受であったと考えています。さらに教育のことはもちろん、学校建設や認可のことなどに関わって世の中のからくりというのか、その裏表に広く通じられました。

 晩年の大先生は、理事長を退く意向を固められていました。理事長職にあって培った経験や見識をもって、思う存分お結界取次の御用をしていくのだ、という覚悟のようなものがそのお姿からは感じられるところがありました。

 たとえば早朝、開門したばかりで参拝者もまばらなお広前のお結界に真剣な表情で端座しているご様子などからは、お取次にかける大先生の思いが伝わってまいりました。

 神様のどういう思し召しか、大先生のお結界奉仕復帰はなりませんでした。しかし今私は、大先生がそれだけの思いをもって奉仕されようとしたお結界の御用にお使いいただいていることに、心から喜びを感じています。三代大先生も初代大先生、二代大先生とともに、このお広前にあって私の御用を助けて下さっておられると信じています。

十年祭について、ひとことを申し添えます。   前日五日には銀座教会長先生祭主のもと、瓜破(うりわり)で墓前祭が仕えられます。

 当日は、大阪教会長白神先生ご祭主のもと十年祭が仕えられます。祭典前に、少年時代・青年時代からの大先生をよくご存じである馬込教会・荻野先生によるお話が行われますので、一時からの参拝をお勧めいたします。

 さらに十三日のご本部参拝は大先生十年祭の御礼参りの意味もございます。ひとりでも多くの方が参拝されることを祈念しております。

(この「教風」は、2009年12月に掲載されたものです)
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