「教風」 (連載第55回)


初代大先生七十年祭に向かって


明けましておめでとうございます。平成二十二年(二〇一〇年)の新春を迎えました。

 昨年は二月一日に、お広前に初代大先生の「信心の四つの目的」を掲げ、年末に仕えられる三代大先生十年祭を迎えるに当たって、信心生活の充実につとめました。
 
次の節(ふし)は四年後に迎える初代大先生七十年祭です。私は今、初代大先生の信心のなかでも特に「恩」について改めて頂き直したいと願っています。

 恩と言う言葉はいまどき流行りません。というより通じません。若い人たちに「恩」と言うと「えっ、どういう意味」と聞き返されるそうです。

 ですが、「恩」を抜きにして初代大先生の信心は語れません。もちろん「御礼の信心」と言い換えてもよいのです。ただしそれでは大先生の力をこめておられるところがスルリと抜けてしまいそうな気もします。

 ○初代大先生は生きて働いておられる
 お国替えされて七十年近くになるということは、ほとんどの人は初代大先生を知らない、ということになります。単なる書物の上で教えを説かれている方、ご肖像を拝む方という存在になりかねません。それでは意味をなしません。

 熱心に信心なさっているご夫婦の奥さんが患いました。大手術を前にして不安になります。その方はよくお知らせを頂かれる方で、そのときも「生きても死にても天と地とはわが住みかと思えよ」という教祖様の御教えが胸にうかび落ち着かれたそうです。しかし私としては冗談じゃない、「死にても」になんぞさせてはならん、と思いました。「初代大先生があなたにはついているから」と、その方には申し、懸命にご祈念させていただきました。
 おかげを頂き大手術は成功しました。得てしてそういうときは、まだいくつものヤマがあるもので、また困難な状態が起こり患者さんは動揺しました。
 そのとき、その方には誰かがそばについていてくださるという実感があったそうです。そしてそれが初代大先生であると神様が教えてくださったと言います。そのときを境にその方の病状は改善し急速に回復していきました。

 このお話は私たちにとっても大事な話です。  つまり初代大先生は現在も確かに実在してお働きくださっている、お取次くださっている。そのことを確信しなければ、すべては始まらないのです。

 信話集がどうの、御教えがどうのといったところで生きた初代大先生の生身のご存在を感じられなければ、それは死んだ哲学ではあるかもしれませんが信心ではありません。

 教祖様を知らない私たちでも「金光様!」と念じて日々おかげを頂いています。

 初代大先生を知らない私たちが、心から初代大先生を慕い、生きておられることを実感すれば初代大先生はもっともっと働いてくださるのです。 まず、そのための信心の工夫がいります。

「まことの信心 まことのおかげ」とは、そこをまず土台にしてひとつひとつ分からせていただき、おかげとして現せていけるものだと私は思います。

(この「教風」は、2010年1月に掲載されたものです)
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