「教風」 (連載第56回)


ご恩報じの生涯


 一月十一日は初代大先生のお誕生日でした。今年は、一四〇回目の生誕記念日です。安太郎青年は二十歳のとき大病を患ったのがもとで神様に手を合わせ、おかげを頂きました。その点では、今年は初代大先生の入信一二〇年の年と申せましょう。
 しかし私は、こうした区切りのよい年よりも大先生の生涯で更に重要なのは、信心して十三年後、おそらくは三十三歳の年であると思います。
 その年、大先生はこれまでは神様を信じているようで、実は自分の腕を信じていたことに気づかされ、それからは「神様はご主人、自分は奉公人」という境地に達せられました。
 これで初代大先生ご自身は、確かに助かったという確信が生まれました。けれども実際には、すぐに大先生が裕福になったり、幸福な家庭が築かれたわけではないのです。
 経済は危機的状態からは抜け出したものの、大先生の人を思うこと厚い性分により、ついつい他人への援助が多くなり、決して楽ではありませんでした。
 また、子供さんは次々と生まれましたものの、ツヤ様(銀座教会、初代奥様)茂様(二代大先生)のほかは亡くなってしまいました。
 それでも初代大先生は、目の前のおかげのあるなしにはちっとも構わず、意気軒昂に信心を進めていかれました。
 いや、こういう言い方では、到底、大先生のお心を表現しているとは言えません。
 初代大先生は三十三歳のときから、助かりの道にご自身を導いてくださった神様の大恩に報いるため、そのためだけに以後の人生を歩まれた、といっても過言ではないのです。

 今どき「恩に報いる」なんて言葉は古くさいと思われる方も多いことでしょう。もっと現代風に「御礼の信心」とか「感謝を捧げる」と言えばよいのにとアドバイスしてくれる方もいると思います。
 しかし私は、御礼とか感謝という言葉に置き換えたのでは、何か大先生の大切な思いをすくいきれないような気がしてなりません。それほど「恩に報いる」という言い方は深く重いのです。
 こんにち、私たちの信心は、自分の健康とか自分のふところ具合とかを基準にして、おかげ頂いたとか頂けなかったとか申しています。
 しかし、三十三歳以降の初代大先生は、そうしたことは一切眼中にありませんでした。
 自分ではなく、全て神様本位、どうしたら、たとえわずかでも、大恩ある神様の働きに報いていけるか、そのことだけをひたすらに追求していかれました。
 そういうご生涯でありました。

 ○神人(かみとひと)の道
 本年教団では、「――この道のおかげの自覚をもとに信心生活を進め『神人の道』を開く」を基本方針に掲げ、活動を進めることになりました。
 初代大先生は、その神と人と一つになる安心への道、この神様のご恩に報いるという信心の行き方であったと私は思います。


(この「教風」は、2010年2月に掲載されたものです)
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