「教風」 (連載第60回)


教祖さまのお徳に満ちあふれた本部広前

 私はご本部のお広前に参ると、教祖金光大神様のお徳というものを感じます。玉水のお広前では初代大先生のお徳というか存在を確かに感じられるように、ご本部のお広前では教祖さまのお徳が満ちあふれているといつも感じます。

 ですからご用でご本部に参ったとき、月参りの団体参拝で参ったときには、それこそ教祖さまのお徳に身を委ねて全身浴をしているような気持ちでおります。

 当然、ご祈念の中身も玉水教会で日々務めているご祈念とは違っています。

 玉水のお広前ではお取次をさせていただいている信者さんのことを懸命に祈っているわけです。しかし私は敢えて、ご本部ではそういうご祈念は多くいたしません。

 ではどういうご祈念をさせていただいているかと申しますと、初代大先生以来の玉水教会がいただいてきたたくさんのおかげに御礼を申し上げる、ということです。具体的にさまざまなご事蹟を思い起こして、神さまの御恩に一層心を寄せていきたいと思っています。

 ○命を金で振り替え
 たとえば、明治三十八年初代大先生は道広の先生の勧めや三代金光さまのお言葉で布教を始められました。ご自身では思いもかけぬことだったのですが、一旦心を固めると初代のご用ぶりは大変なものでした。しかし布教直後の初代に、なんと神さまは、「その方の命はあと十年ぞ」と言い渡されます。張り切って、これからご用となった途端にそんな宣告をされれば、普通ならがっくりくるところでしょう。でも初代は、それなら人の三倍働けばいい、そうすれば三十年間働いたことになるから、とあくまで前向きに考え、実行します。

 はじめての年は浴衣を三枚腐らせた、次の年は血の汗がでてきたなどのお話があります。一日座ったままでそんなことになるのですから、どれだけ強烈なご用ぶりであったか想像もつきません。

 そしていよいよ十年が近づいたころ、初代の心は変わっていきます。まだ死ねない、ということです。そのころには相当信者さんも増えていました。その信者さんたちを置いて死ぬわけにはどうしてもいかない。そこで命を継いでいただくように神さまにお願いされた。そして願い通り命を継いでいただきました。

 その代わり大変な額の借金ができてしまいました。神さまにお伺いすると、「命と金と振り替えてやった」というお言葉です。この時、初代大先生は商売していたわけではありません。ですからそんな多額な借金がどうしてできたのかと思うのですが、どうも困っている人たちの窮状をみるに忍びず、肩代わりしているうちに膨(ふく)らんでしまったようでした。

 ですがその時も、もっともっと信心を深めて人助けのための徳と力を得させようという神さまの思し召しであると前向きに考えられました。そして神さまにお願いして六年で多額の借金を返していかれたのでした
 こういうように神さまの御恩の広大さを改めてかみしめ信心が進められるよう祈るのは、やはりご本部のお広前で、金光大神さまの広々とゆったりとした個性と申しますか、気性といいますか、それに包まれた雰囲気のなかでこそ勤(いそ)しめるように私は感じています。
(この「教風」は、2010年6月に掲載されたものです)
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