「教風」 (連載第63回)


便利さに慣れないように


 当教会のご本部参拝が、今月からJRの都合により新幹線での参拝に模様替え致しました。八十年におよぶ臨時専用列車での時代に終わりを告げることになりました。

 八月のお参りでは八十年の専用列車参拝を記念して田幡教会の水谷先生方が途中の加古川で凧をあげてくださいました。凧は高く高くみごとにあがっていました。

 新幹線での参拝となり、これからは今までより少し遅く出て早く帰れるようになりました。便利になるのはありがたいことです。反面、便利に慣れてしまうことには気をつけなければなりません。

 明治二十四年、初めて金光に鉄道が通り、列車による参拝ができるようになった折、金光四神様が、「便利になるとおかげを落としますのう」とおっしゃったという伝えがあります。このお言葉の意味は重いと思います。

 便利が当たり前になってしまうと、便利さへの感謝がなくなるどころか、その便利さがひとつでも欠けると不平や不満が噴出してきます。
 例えば、この夏は38℃をこえる日も多く、記録的な暑さです。クーラーがない時代には暑くても辛抱しようということだったのに、いまではクーラーが当たり前である便利さに慣れてしまって、クーラーが入ってないと、「このくそ暑いのになんでクーラー入れへんねん」と、すぐ不足をいうようになってしまいました。 しかし、不足や不平を口いっぱい言っているところに信心はありません。おかげもありません。

 ○病気を通して気づく
 お手引きされてお参りするようになった、商売人の方がいます。お参りするようになっても心は不足でいっぱいで、いつも不平や不満を口にしていました。

 その方には一つの恐怖がありました。以前罹っていた病気が再発するのではないかという恐怖です。そして、その恐怖は現実となってしまいました。お参りしていたのに病気が再発して、その方は一層不満を募らせ、周囲に当たり散らしたか……。

 いえいえ、その方は病気を機に自分を見つめ直し反省されました。
 これまでの不平一辺倒の自分を悔い、病身でしんどいながらも商売ができて働けることを喜んでおられます。そして生き生きとした表情になってお結界でお礼申されています。

 こうした姿を見ていると、神様は時には難儀を私たちにお差し向けになることもあるのだな、そして、それはただ私たちを突き放すということではなく、私たちを本当に助けるためなのだな、ということを実感します。

 暑さのことに話をもどしますと、今年は日本中の人が「こんにちは」と言う前に、「暑いですなあ」と言ったはずです。暑いときに暑いというのはしょうがない。しかし、暑い暑いと不平を言うだけでなしに、夏が涼し過ぎたらお米はじめ作物ができが悪くなる。景気にも響く。
「暑いことはありがたいことなんや」と、暑さに礼を言うといいますか、そういう気持ちも持っていないと信心する人とは言えないのではないかと思います。

 そうでないと天地の親神様を拝んでいるつもりでも、困った神様、不平の神様を拝んでしまっているからです。そうなると困ったおかげ、不平のおかげばかり頂くことになってしまいます。
(この「教風」は、2010年9月に掲載されたものです)
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