「教風」 (連載第68回)


責任を果たしていく


 あけましておめでとうございます。

私は去年の秋より、大先生と呼ばれる身になりました。とは言っても、お広前での御用や教会長としての務めが何か変わるわけでもなし、とにかくこれまで通りに眼前のことを心をこめてやっていけばいいのだ、と初めは考えていました。しかし私のそんな暢気(のんき)な思いを打ち砕くようなことが周囲に起こってまいりました。

 初代大先生、二代・三代大先生は、それぞれとても大きな足跡を残されています。
 初代大先生は、三代金光さまのご命によりこの玉水教会を興され、たくさんの方々を助けられました。二代大先生は、いったんゼロとなった戦後にあって「初代であったらどうなされるか」と自問しつつ自身のあり方を追求し、教会の再建を遂げられました。また三代大先生は、教会の御用のみならず、広い視野に立って、関西金光学園の理事長として大きな仕事をなさいました。

 やはり玉水の大先生という任は途轍(とてつ)もなく重いと言わざるを得ません。

 私たちが日々、標榜する「信心の四つの目的」の最後にある「自分の役割を明らかにして責任を果たさせていただく」の項が胸に突き刺さります。

 大先生と呼ばれる身になったからには、それまで以上の責任が生じているはずではないか、と思っておりますと、『銀座だより』一月号(7頁)に初代大先生自らが、責任について語っておられました。

「この自分の責任がはっきりと強くなってこないと信心が信心になってこないのであります。責任観念が強いと信心も強くなります。責任を感じる心が薄いと、信心が消えてなくなってしまいます。ですから、なんでもこの責任ということを一層強く感じさせていただくことが大事です」

 ○総代さんの思いを受け止めていたか

 今年の元日祭のことです。代表玉串は信徒総代にお願いしていますが、最年長の総代さんはこのところ体調を崩しがちで不参のことも折々ありました。私は、新年のことでもあり、他の方にお願いし、三人そろっての玉串奉奠がいいだろうと軽く考えておりました。

 ところが参向していくと、最年長の総代さんが前列に座っておられます。私は、雷に打たれたような気がしました。

 後で聞くと、「このところ調子が悪くご無礼することが多かったけれども、新年の初めにあたる元日には、ぜひお参りしたい」と願いを立てられて懸命にご祈念して、おかげを頂いての参拝だったそうです。

 私は体調が悪いだろうから、ではほかの方に、といったふうで、その総代さんの必死の思い、願いに気づいておりませんでした。お広前でその姿を見て、しまった、申し訳なかったと思ったことでした。

 初代大先生は「人を思うこと人後に落ちず」とおっしゃいました。私の一番の責任は、人を思い、願ってくる人を守ることです。その願ってくる信徒の代表を勤めてくれている総代さんの懸命の願いに気づかないとはうかつと言うほかありません。

 ただ淡々と御用を進めていけばよい、というようなものではない。責任を果たさしていただく、少しでも歴代大先生の信心に迫りたい、反省しつつそう願っております。

 皆さまも、それぞれの立場で、責任を感じる心をもって、信心をお進めください。

(この「教風」は、2011年2月に掲載されたものです)
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