「教風」 (連載第71回)


一心の祈りを生み出す場


 教祖様の次女・くら様が疱瘡(ほうそう)にかかったとき、神様は、教祖様にくわしく指示されました。

「病人はほうっておいて農業へ出よ。朝、病人の様子を見て農業へ出よ――」。私が注目したいのは、このご指示のおしまいにある「病人のそばにいるな。病人をみていると、心配が起きてよくない」の部分です。

 くら様病気(安政六年)のご事蹟を拝読して、教祖様の動静を窺(うかが)いますと、神様のこのご指示を忠実に守っておられることが分かります。

 当時、教祖様は四十六歳、神様のお知らせを頂けるようになって、まだ一年ばかりの頃でした。
 すでに、亀太郎様、槙右衛門様、ちせ様と三人のお子様を亡くしています。今また九歳のくら様の命が風前の灯という状態に陥ったのです。

 それでも教祖様ご夫妻は、神様の仰せに従い「死んでもままよ」と、神様にくら様のことをお預けして農作業へ出かけます。

 昼食に戻ってきた折、当然奥様は病人のもとに駆けつけますが、一方教祖様は、神様から「心配ない」とお知らせをいただき、見にもいかず茶漬けを食べ始めます。

 ところが、奥様はくら様の体が冷たくなっていることを発見。「母(かか)さん、油断じゃった」と、養母いわ様に悲痛の声をあげます。それでも教祖様は動きません。「神様にお知らせいただいたのだから、もういっぺん見てみよ」と奥様を促すと「つく息だけあって、背中にぬくもりがある」ことが分かります。

 神様にお願いすると、「お神酒(みき)を飲ませて祈念してやれ」とのお言葉を頂き、ここに至ってようやく教祖様は病人のもとに行きます。白目をむいて歯を食いしばる病人を抱き起こし、片手に抱えて膝に乗せ、小指で口を開けてお神酒をのどに注ぎ込むと、「腹へ納まったから祈念をしてやれ」と更にお知らせがあります。

 そのお知らせどおり、教祖様はふすまを閉め切ってお広前にこもられます。「もう、いけません」と奥様が声をかけると、一層ご祈念に力を込め、「ほどなく験(げん)をやる。一口泣いてもおかげ、ものを言ってもおかげ」とのお知らせを頂きます。

 そして、お知らせのとおり、くら様は自分で小用に行き、やがて正気を取り戻して危ういところから脱していくという経過をたどるのです。

 以上のように、「病人をみていると、心配が起きてよくない」との親神様の仰せのとおり、教祖様はご自分の「居場所」をお決めになり、ご祈念に専念なさいました。

 ○冷静な場で祈る

 私は一心の祈りをすることと、この病人に近づかないこととは表裏となっていると考えます。

 もう一つ例をあげれば、昭和二十年三月の大阪大空襲で、折あしくご本部参拝中であった二代大先生は、教会には戻れずご本部の広前でご祈念されながら一夜を明かし、玉水教会は焼け残ったということがあります。

 私は折あしくと申しましたが、実は本部広前という、離れた、そしてご祈念するには至上の場に二代大先生を置いて下さったのは、神様のおはからいであったような気がしてなりません。

 一心の祈りを通すには、病人のそばとか火の手の迫る現場ではなく、生々しさに心を囚われずに、冷静になって神様に祈れる場がいるのだな、と思います。

 そして、そういう場とは、即ちお広前です。その意味でも、教会にお参りする、教会でご祈念するというのは大切なことなのです。「事があったら、まず教会へ」と熱心な方が口にされるのは、こういうことだと分からせてもらえます。

(この「教風」は、2011年5月に掲載されたものです)
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