「教風」 (連載第72回)


神代になるように


 テレビや新聞で震災の報道に接しますと、いてもたってもいられない気持ちになり、自分も被災地に飛んで行って何か被災された方々のお役に立ちたいと、こんな気持ちによくなります。

 しかし実際には遠隔地でもあり難しいことです。ひたすら復興を祈るしかないのです。「しか」と申しましたが、初代大先生は「祈りは最後の方法ではなくて最上の方法なのだ」と教えてくださっています。そう、私達には祈りがあります。
 体は運べなくてもしっかりご祈念することはできます。そしてそのご祈念はやはりお広前においてなされるべきです。その訳は先月号でも申しました。

 ○「神代にもどり」

 もうひとつふれておきたいことがあります。

 「この地震は天罰だ」という発言がありました。ずいぶん乱暴な言い方だと思います。神様は罪もない人にバチをあてたりなさいません。いや神様もこれだけの大きな被害がもたらされたことについて、深く悲しまれているはずです。

 しかしその一方で、今までのやり方、生活のしぶり、産業のあり方までに変更を迫られている、ひとつの節目に私達はいます。原子力発電に頼らなくてもいいように節電をしていくには、これまで使い放題だったエネルギー消費のライフスタイルを改めなければなりません。また甚大な被害の出た産業設備やインフラを復興するには途方もない費用がかかり、最終的には私達の懐を切り詰めるということになるでしょう。

 こうしたことに対して、困ったことだと不平を言うようでは信心している人とは申せません。
 こうした節目に立たされたのは神様の意思とか願いとも言うべきものがあったからと私は考えます。

 それは『(今は)人代と申し、我が力で何事もやり。――昔へもどり、神代になるように教えてやる』という神様から教祖様へのお言葉です。明治十三年、人々が神を敬い互いに生きた神として助け合う、神もまた人のそのようなあり方に感応した働きを現し続ける、という世界をお示しくださいました。その世界に近づいてくれよ、という神様の願いを、今私は感じます。

 と、こう申すと大変難しいことを目指さなければならないようですが、初代大先生の信心を頂いている私達にとって実はよく分かっている世界なのです。

 要は「人間中心から神様中心に切り替えよ」ということで、初代大先生はこれを「神様がご主人、自分は奉公人」と言い表されました。
 そして、その世界に到達する方法まで事細かに教えてくださいました。

 すべてのことは神様にお渡しして、ただ八つのことのみしていけばよい。

 「一切万事神様にお願いする。神様とともに勉強する。経済に気をつける。家庭を円満にする。子供を教育する。親先祖を大切にする。すべて神様の思いにあうようにする。借金の断りを言う。――ちと多すぎるけれどもしようがない。これだけのことはして行かねばならん」とおっしゃりつつご教示くださいました。

 つまり私達はこの節目に立って、これまでより一層真剣に初代大先生が指し示してくださった道を求めていけ、歩んでいけということであると思います。

 そして私達がおかげ頂いた姿を世の人に示し一人でも多くの人がともにこの道を歩むように、それが節目に立つ私達の使命であると存じます。

(この「教風」は、2011年6月に掲載されたものです)
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