「教風」 (連載第75回)


震災復興を願う


 このたびの震災の被災地に七月に二度赴く機会を得ました。

 もし現地で何もすることがなければご祈念のひとつもさせてもらおう、というような気持ちで参ったのですが、いざ現地に着くとそんなものではありませんでした。もう言語を絶すると申しますかあまりの凄惨さに呆然としてしまいまして、とりあえずご祈念をというような取り澄ました気持ちは吹き飛んでしまいました。

 震災については私も阪神大震災の直後に被災地を駆け回ったので、多少とも事情に通じているのではなどと思っていました。しかし津波というのは又別物でした。阪神では倒壊した建物の近くに堅牢なのか地盤が違うのかあまり被害のなかった家屋もあるという状況でした。津波というのは失礼な喩えだったら申し訳ありませんが、いわば街中が洗濯機に入れられて回されたようなものです。どこもかしこもひとしなみに瓦礫(がれき)と化していました。阪神なら崩れていても掘れば思い出の品を見つけることもできました。今度はそれもないのです。

 そんな大災害のなか被災された皆さんは悲嘆にくれず前向きでした。まことに頭の下がる思いがしました。何や彼や言われながら復興も次第に緒についてきました。それだけに外部からの支援も難しい段階に差し掛かったなあとこのたび感じました。支援はタイミングです。今日ここで必要な支援は昨日隣でほしかったが今日はもういらないといった具合なのです。

 こんなことがありました。瓦礫の片付けに参ったところ、そこは家の修理中で、私たちの支援はどうみても建築廃材の撤去でした。私達には支援の一つであったかも知れませんが、建てている建築業の人たちの冷たい視線を感じました。それはそうでしょう本来廃材なら人を雇って捨てに行かねばなりません。家の方にとっては費用がかからないわけですが、建築業の人たちからすれば働き口が奪われたわけです。復興の足を引っ張ることになってしまう。これは何か別の支援の方途もあるのではと考えました。


  ○「復興を願う集い」

 そんな思いもあって夏の少年少女全国大会にあわせて復興を願う行事ができないものかと模索しました。
 幸い少年少女会連合本部の方々と話も進み、私が願っていた行事を実現させていただき、ありがたいことでした。

 前夜に「復興を願う集い」と言う名称で東北を思う行事を繰り広げ、ゲームや模擬店でも楽しんでもらう。その中心には東北から招待した五十人ほどの子供と親御さんたちがいる。そのような形をとり参加者全員おそろいの黄色いTシャツを着て盛り上がりました。

 翌日全国大会のおわったあと、乗り継ぎの岡山駅ではあっちからこっちから黄色いTシャツが湧いて出て壮観だったそうです。

 東北のお子さんたちは大阪にも一泊してもらいUSJでも遊んでもらいました。辛い年だったけれども楽しかったこともあったなと将来思い出してくれればと願っています。

 もちろん現地で復興の一助にと身を粉にしているボランティアの働きは尊いものです。それは私も重々承知しています。復興の速やかな進捗と支援の皆さんの働きが生きるように、亡くなった方々の慰霊とともに祈念しております。

(この「教風」は、2011年9月に掲載されたものです)
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