「教風」 (連載第78回)


お詫びはただひたすら


 今年の玉水フェスタも十一月十三日、盛況を得て開催することが出来、ありがたいことでした。バザーでは革のバッグやポーチが多数出品されていました。これは私の叔父、湯川太郎先生の製作したもので、その太郎先生が十月二十五日に亡くなられました。バッグなどは早々と作っておられたのでしょう。すでに夏には送ってこられました。

 太郎先生はこうした手仕事にたけ教会のさまざまな道具類などもこまめに作ってくださいました。しかし私はその印象ばかり強くてどんな信心をなさってきたのかということをお葬式に参るまで実はよく存じていませんでした。

○言い訳許さぬ養父母

 太郎先生は島根県の西の端に位置する津和野教会に大勢の兄弟のほぼ末っ子として生まれました。末っ子なのになぜ普通は長男を意味する太郎と名付けられたかというと、年の離れた長兄が、兄弟が幼くしてよく亡くなるので今度の子は太って元気な男の子に育つように太郎としようといわれたからだそうです。当時の世情の厳しさがよくわかります。

 幼いときにお父さんが亡くなったこともあり、信者さんの家へ養子に出されました。毎日家事から薪割り、畑仕事と、重労働を負わされました。それにもまして辛かったのは、叱るばかりで一生懸命やってもねぎらいの言葉のひとつもなかったことです。とくに落ち度がなくても養父の意に沿わなければ叱られる。言い訳しようものなら言い訳した分だけ小言が長くなる、で、謝るということは、決して言い訳せずにひたすらお許しを乞うことだと実感されたのだそうです。何で自分はこんな目に遭うのかと、おそらくそのときは思われたことでしょう。

 ところが実家に戻り金光教教師となり、銀座教会に修行に出たとき、このときの厳しいしつけが光りだしました。銀座教会長・湯川誠一、ツヤ師父夫妻の目にとまり、やがて私の叔母と結婚して湯川家の養子となりました。

 私は、信心におけるお詫びの急所を、太郎先生は幼くして養父母にたたきこまれたものとみました。

 初代大先生は,他教会の修行生の話を例にとって「白いものでも親先生が黒といったら黒と見えるようでなければ」とお話してくださっています。そして初代大先生は「教会修行とは人に仕えて神に仕えることを覚えるものだ」ともおっしゃっておられます。ですから親先生を神様におきかえれば誰にでも通じることです。言いたいこともある、わかってほしい事情もある。しかしお詫びとはそれをいってはならない。ただただ誠心誠意お許しを願っていくこと、それこそがお詫びだ、なのです。

 私も師匠である三代大先生に対してはじめは中々そういう気になれませんでした。お広前では大先生、師匠でもうちらへはいれば、思ってなくても、父という意識が頭をもたげてます。

 それがあることで大先生にひどく叱られ、確かに修行生なら最初から素直にお言葉通りしたろうな、と反省しました。お言葉通りにことを進めると何のことはないすべてうまくいったのでした。

 で、それからはお父さんではない、師匠なのだ、すべて言いつけどおり無条件に従おうと心にきめてやっていきました。

 太郎先生の生涯とそのご信心をうかがって改めて信心の厳しさ、お詫びの難しさを勉強させられた思いです。

(この「教風」は、2011年12月に掲載されたものです)
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