「教風」 (連載第79回)


神様を渡して下さった四代金光様


 謹んで年始のあいさつを申し上げます。

 平成二十四年の新春を無事共々にお迎えいたしました。新年らしく気持ちをあらたにして年始めの抱負を語ろうという方向に意識が向かいます。
 ところがそう思った一瞬、すぐに東日本大震災の事が頭に浮かんできてしまうのです。

 昨年はまことに多端な年でありました。地震・津波、それに伴う原子力発電の問題などにより、たくさんの方が亡くなり、財産を失い生活の地を追われることになりました。私も初めて被災地に立ったときの衝撃を忘れることはできません。

 ――津波で被害を受け、多くの人が命を奪われ、そして今や何もなくなった土地。茫然自失といいますか、ものを考えることが全くできない。感謝とか祈りとか、全然出てこないのです――

あの衝撃を自分の中から消し去り、きれいに口を拭って「おめでとうございます。今年は……」とは今もとても申せません。

 しかし、あのあと大阪に戻ってきて、ご神前に額づいて考えましたのは、「やはり御礼だな」ということでした。
 今日まで生かして頂いたことの御礼、無事平和に日々を送っていることへの御礼が、自分は本当に心をこめてできてきていただろうか、と反省いたしました。
 その御礼ができたとき、被災地復興の祈りも、亡くなられた霊さまの御道立ての願いも真剣なものとなっていくような気がいたします。



○お結界からジロリと
 私が被災地でなすすべもなく立ちすくむ経験をさせられ、思い出したのは二十数年前、御取次下さった四代金光様のお姿です。
 学院生の時でした。学友が心身のバランスを失い苦しむのを見て、いたたまれず金光様に御届けに走りました。すると四代様は急にこちらを向いて、ジロリと睨みつけ、「あんたは医者か」とおっしゃいました。

 よく考えてみれば、私はその学友のことを祈るというより、ただ病気を何とかしてあげたいという思いばかりでした。
 「順序を間違えておる。今日までのこと御礼申し上げておるか。一緒に修行してきたことを、まず御礼申せ。そしてその友のことを懸命に祈る。それから学院の先生に相談してここに来るのが順序である」と噛んで含めるように諄々とお諭し下さいました。
 あのときから、何遍も何十編も御取次のお姿お言葉を思い起こし、反省のよすがとさせていただいてきました。

 問題が起こったときは、お広前に飛び込んで、パンパンと手を打って、どうぞ何とかして下さいと願いたくなります。しかし金光様は、「それは順序が違う」と仰せられ、「難儀が起こるのもおかげの中のことだから、まずは御礼が先になる」と諭されます。
 思えば、金光様は、広々とした世界――御礼とお詫びと御願いの筋道が正しく通った信心の世界を私に指し示して下さったのでした。初代大生先生流にいえば、「神様を渡して下さった」とも言えましょう。

 あの厳しい御取次があったればこそ、私も今、信心できているのだと、まずそのことに御礼を申している次第です。

(この「教風」は、2012年01月に掲載されたものです)
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