「教風」 (連載第80回)


なんとかなる


 お正月にご神前にお供えし、その後霊殿脇にお移ししていた清酒に「なんとかなる 気仙沼」という銘酒がありました。

 このお酒は気仙沼教会の掲示板の言葉から生まれました。
 津波の場合、地震そのものと違って被害を受ければ全て流されてなくなりますが、水がこなければまた普段の生活ができます。くっきりと分かれます。気仙沼教会はすこし高台にあるため津波を免れました。そこで教会では被災した方々にお広前に避難してもらいました。お広前に、いや町中に悲しみと不安で打ちひしがれた空気がただよっていました。

 そんなとき気仙沼教会の先生が掲示板にひとこと「なんとかなる」と大書されました。それを見た人たちが「元気が出た」「立ち上がる勇気が出た」と言ってくれ、やがてお酒の名前にも採用されたのでした。先生の神様に向かうひたむきで健やかな心が回りの人々にも伝わったのです。

 ○「清らかな心」「丸い心」

 初代大先生は、信心の四つの目的のなかで、

「常に心を清らかに持たしていただくために」
「角立つ心を丸くするために」

という目的を挙げてくださっています。一見するとこの二つは自分個人にとっての信心目標のように思えます。

 しかし、清らかな心や丸い心は、ただ単に個人的な話に止まらないのです。必ず周囲に及んで行きます。
「あの人のような清らかな心に、自分もなりたい」「自分も角をとって丸くなりたい。そのための話を聞きたい」

 一生懸命に取り組んでいけば、すぐさまどうこうということではないにしろ、何かの機会を得て周囲にその成果が現れ出て注目されることになります。ちょうど、気仙沼教会の先生の日頃培った信心が、震災後の掲示板に現れ出たように。

 信心継承やお手引きは、信心している人が是非なさなければならない必須のことです。しかし、だからといって執拗に誘って連れてきたとしても、あとが続かないでしょう。私たちの信心は洗脳とかカルトとかいう類のものとは全く違います。信心しているめいめいが各自の心を磨いて、清らかな丸い心になったとき周囲に輝きだしていくのです。

 ○元日に

――というような話を、私は元日祭で話したつもりです。「つもり」というような不確かな言い方を致しますのは、不覚にも年末に風邪をひきこんでしまって、元日に発熱し、いささか記憶があやふやなところがあるからです。

 それでもおかげを頂いて元日祭はじめお正月の行事を滞りなく果たすことができました。

「無事にお仕えできるやろか」「最後までいきつけるやろか」と不安が頭をもたげてきたとき、私のなかで、「なんとかなる、なんとかなる。神様がなんとかしてくださる」という言葉が鳴り響いていました。

 私もこの「なんとかなる」に助けられた一人でありました。

(この「教風」は、2012年02月に掲載されたものです)
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