「教風」 (連載第87回)


霊様のお呼び出し


  「お呼び出しって何するんでしょうな」「ウーン見当もつきませんね」関係教会以外の先生が「あゆみ」を読んでいて頭をひねったという話を聞いたことがあります。

 お呼び出しというのは玉水教会独特の儀式らしく、また教会開設早々から仕えられていたようです。こんなに丁寧に霊(みたま)様をお祀(まつ)りするのか、と感心される方もいる一方で「前日祭は修行やなあ」とぼやく若い先生もいます。

 装束をつけて長時間うつぶしていなければなりません。月例祭なら平伏しているのは祭詞のときだけで、祭詞はじっと聞いていれば意味がわかります。教師なら皆祭詞を作るわけですから、ああいう申し上げ方もあるのかと勉強になったりします。ところが前日祭では坦々と霊様の名前が呼ばれていくだけで、わきで平伏している出社の先生たちにとっては、ほとんど知らない方の名前ばかりが続きます。ご修行といえばまことにそうです。

 では、読み上げているほうが楽かといえば、これがまた一段と大変です。特に出社の先生方が初めて読むときなどは、口がからからになり舌が回らなくなり往生します。「何々氏(うじ)の遠津祖之霊(とおつおやのみたま)、代々祖等之霊(よよのおやたちのみたま)、親族家族諸々之霊神(うからやからもろもろのみたまのかみ)……」、途中からレロレロとなってしまうのです。

 また時間のことがあります。レロレロが続いて時間が超過すると次に読む先生に迷惑をかけます。また、信者さん方は、自分の家のお呼び出しの時刻を見計らってこられるのですから、毎年同じような時間の流れにしておかねばなりません。読み上げればいいとばかりに急いで読んだら、信者さんが参って来られたときには済んでいた、ということにもなりかねません。ですから前日祭では、予定時間より何分遅れている、何分早いと時間に神経を使います。

○先祖の祈りをいただく

 この間の事情は『教燈(中)』の中で二代大先生も話されています。「平伏して初代大先生の読まれるのを聞いていたときは読む方が楽だろうと思っていたが、やってみるとエラい」と言われるのは我々と一緒だなと思います。

 ただ私の場合、教会長に就いて十数年になり春秋ほぼ同じところを読み上げることになりますので、そのこと自体には習熟してきたと思います。問題は読むときの思いです。二代大先生は初代大先生から「読みさえしたらいいと思うていたら間違いだ。……霊様が挨拶される、こっちも挨拶(あいさつ)しなければならん……洩(も)れた霊さんがあったらその間にも遷(うつ)さしてもらわなければいかん」と厳しく指導されました。

 私も読み上げるときは霊神簿の隅々にまで目を配って、霊様一柱(ひとはしら)一柱にご挨拶申し上げるつもりで読んでいます。
 毎年お呼び出しの御用を重ねてくると、「ああここでポンポンと拍手(かしわで)が入るなあ」と予想が浮かび、その通り拍手の音が鳴ると安心した気持ちになり、逆にいつもは拍手が入っていたのに鳴らなかったりすると、どうされたのかなあと考えたりします。霊様が子孫のお参りを待ってらっしゃるというのはこんな感覚だろうかと思います。

 ご先祖が懸命に信心された、そのあとをいただくお祭です。また生前は信心されていなくても子孫のためにご苦労されたのは確かです。そしていまは初代大先生のお導きによって信心されている。その霊様に一堂にお出ましいただくのです。霊様のお働きにしっかり御礼申し上げ、ご先祖の祈りをいただいてまいりましょう。


(この「教風」は、2012年09月に掲載されたものです)
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