「教風」 (連載第89回)


 世のお役に


 ベランダで犬が吠(ほ)え出したので出てみると、会堂の屋根に人が上っているのをみて吠えたのだと分かりました。お広前の耐震調査の人たちでした。

 巨大地震云々(うんぬん)のニュースが取り上げられることもあり耐震調査を、木造建築、特に社寺専門の金剛組という会社に依頼しました。こうした建築に精通している方たちだけに、初めてお広前に来られたとき「これだけの建物はなかなかありません」とびっくりされ、「これからの調査が楽しみです」と言っておられました。初代大先生がひとつひとつ吟味した材料が使われている、神様が作られたお広前ですから当然といえば当然なのですが。
 木というのは長い年月がたっても生きているのだそうです。何百年たっても生きていると言います。ですから総ヒノキのこのお広前は、出来てからたった八十年ほどなので、ほんのひと皮削れば新築当時のいい香りがするのだそうです。
 今は年を召しても元気な人が多いとはいえ、やはり木にはかないません。

 ○五十になりました
 年のことをいえば私も先月の二十七日の誕生日で五十歳になりました。よくお年寄りが「八十だ九十だと言ってもアッという間ですよ」とおっしゃいますが、その気持ちが少し分かるようになりました。
「何をしてきたんやろう」と、振り返って正直思います。長いなと感じたのは小学校の六年間だけで、あとは三年三年と過ぎ、アメリカに留学して学院に入学して、と数えてみるとほんとうに短い。

 神様のお恵みのもと手厚く親に育(はぐく)みを受けてきたのは事実です。一方どれだけお役に立ってきたかと考えると申し訳ないというしかありません。学生時代までは、それは親掛かりでしてもらうばかり。学院にを卒業して金光教教師にお取り立ていただいてからも大先生のもとにあり、どれだけお役に立っていたか心もとなかったという感があります。教会長の御用を担うことになっても「足らぬなあ」とつくづく思います。

 私は人の願う中で、「世のお役に立たせていただく」ことが最も大切な願いではないかと思っています。
 親が、子のことを願うのに健康、学歴いろいろあるでしょうが、世のお役に立ってほしいということが一番にくるべきではないでしょうか。

 親だけではありません。自分自身のことを願う場合でもそうです。というと、「年とって人の世話になるばかりです」と仰る方もいるでしょう。しかし、信心を頂いている身であるなら、やることはたくさんある。足腰が達者ならお参りすればそれぞれに適した御用があります。たとえお参りがそうできなくなったとしても祈りという大きな御用ができます。信心していればいくらだって世のお役にたつことはあります。その気になれば探せます。

 最後に木の話に戻ります。会堂移動改修工事の折、使われなくなった材木で笏(しゃく)を作りました。もう三十年以上たちますが、多くの先生方がお祭りでいまも用いています。第二の働きをその木はしっかり勤めてくれているわけです。木も天地の間にあるもの、私たちももちろんそうです。木ができるなら人間にできないわけはありません。少しでもお役にたてる働きをとことんしたい。心得違いをして寝込んだりする無駄な日をつくらないように、充実した働きの日々を送らせていただきたい。
 五十にして今願うことです。


(この「教風」は、2012年11月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧