「教風」 (連載第90回)


 良い方へ明るい方へ


受験生の子をもつ方がお結界へ来られました。子供さんが悪い病気かも知れないから精密検査を受けるようにと、医師から指示されたというのです。そのお母さんは傍目にもオロオロしているという様子でした。「どうしよう、どうしよう。子供が悪い病気だったらどうしよう。まして大切な受験を控えたこんな時期に」と不安とあせりの中に沈んでいる状態でした。

 ところが、切羽詰まったようなお願いを聞いていて私の口から出たのは「心配ない。大丈夫」という言葉でした。私があんまりはっきり言い切ったので「えっ、先生、なんと言われました」「だから、大丈夫や。心配ない」。信者さんの暗い表情が一変しました。「ありがとうございます」「いや、そう急に安心してもろうても困る。一生懸命お願いして」「それはもちろんです」晴れ晴れした顔でお結界を後にされました。

 さて夜になり、ご祈念帳を繰ってご祈念していてその方の所で私は頭をひねりました。昼間はたて続けに信者さんのお取次をさせていただいたのでよく考えなかったのですが、「あの時、なんで自分はあんなに力強く言い切ったのだろう」と。

「あんなこと言ったけれども、もし結果裏切るような結果になったらどうしよう。私を信用しなくなるやろうなあ。いや信心自体をやめてしまうかもしれん。そうや、ここは力入れてこのことをご祈念させてもらおう」。

 そんな風に考えだしたときに、また我(われ)に返って「なにを馬鹿なことを思ったのだろう。自分が我が力でおかげを授けるつもりなのか。我が力でおかげが授けられるというのか。そもそも、あの言葉は自分で言おうと思って言ったのではない。知らんうちに口から出ていたんだ。ということは神様が言わしなさったのではないか。だったら人間心でだめだったらどうしようと勝手に悪いことを考えるのは間違っている。ああ危ないところだった。私が間違えるところだった」。こう反省しました。

 ○なぜか会えない
 検査の結果は異常なしでした。早速その信者さんはお礼参りに来られお届けされたので、ご祈念帳をみて私も知り神様に御礼を申したようなことでした。

 ただどういうわけか、その方がお参りするときに限り、私がお結界にいないというかけ違いが続きました。結局お結界に座っている私が直接その方に会ったのは一週間以上もたってからのことでした。
 丁寧に御礼を申されるその方の言葉を聞いて「これも神様のお計らいや」と気づきました。つまり信者さんは、私がおかげを授けたように考えているので、おかげを頂いてすぐ私と会ったらなおそう思ったことでしょう。それでは神様はどこかへ飛んでしまっている。

それが一週間以上の間があいたので、心が私から神様の方へ向かわせられたのです。これもありがたいことやったなあと思います。
 それにしても、当初のように不安の暗い淵に沈んでいては一心の祈りもできにくかったでしょう。それがお結界で光明を見出す言葉を聞いて明るい方、良い方へ心が向かい、それがまたおかげに通じたのです。初代大先生が神様に心配をお渡しするというのは、「心にかかることを日夜一生懸命神様に申し上げ、そのあとは必ずおかげいただけるものなりという気分になっていくこと」と教えてくださっています。しっかり信心の稽古をさせていただきましょう。


(この「教風」は、2012年12月に掲載されたものです)
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