「教風」 (連載第93回)


 願いは貫け


 信心が浅いうちは、一面でお知らせを受けることにひかれるようです。なにか霊能力でもあるように思い、特別のことができたり現世利益や幸運が天から降ってきそうな気がするのです。信者さんでも、どうしたらお知らせを頂けるか聞きにくる方もいます。
 では、お知らせが実際にどういうものか、信話を開いてみてみましょう。

 初代大先生は信心して十一カ月で神さまからお知らせを頂けるようになったといいますが、具体的なことが『信話』第四集120頁以降の「小売り商い初日」のお話しに出ています。

 市場(いちば)で「そんなものが売れるか」と笑われながら安太郎青年は剣先スルメを仕入れ、かごにいれて売りに行きます。ところが十二、三軒回ってみたところがやはり売れない。で、道の四つ角でお願いし「花街(いろまち)へ行け」とのお知らせを頂きます。そこで新町へでかけます。
 当時の大阪の歓楽街はお茶屋という貸し座敷が主だったようです。そこで客は酒を飲み、芸者を呼んで遊びます。料理を食べたいときは仕出しをとります。自前では料理を作らないので、お通しになる剣先スルメは需要があったでしょう。

 ところが新町でも一向に売れません。
 ここで、それまでの理屈っぽい安太郎青年なら、「お願いしてお言葉を頂き、そのお言葉通りにしておるのに…………」なんでおかげにならんねんと理屈が出て「信ずるなんてばかばかしい」となったかもしれませんが、この日は違いました。花街にはまだ堀江もある、と思い堀江を回ります。しかし堀江でも売れません。
 ここの経緯は大先生にとって非常に大事なところなので、ご自身、折にふれてお話になり、『信話』(第十三集135頁)のなかでも繰り返し出てきます。

「やっぱり売れんなあ。あかんなあ」と思うには思っても、ちょっともびくつかず何ともなかった。逆に、自分ながら不思議に思われる心持ちになって、「まだ四時や。日が暮れるまで二時間ある」と張り切って回ると、それをさかいに、ばたばたっと売れていったのでした。

 ○お知らせは魔法ではない
 こうしてみてきますと、お知らせがけっして魔法の杖を振るようなものではないことがはっきりします。私たちはおかげが欲しい。しかし神さまが私たちに望んでいるのは、目先のおかげを得ることよりも私たちが信心をすること――、本当の信心の道を進んで本当のおかげを受けていくことです。ですから神さまの思いから発せられるお知らせは、私たちの願望とは微妙にずれています。

 お知らせのとおり花街へ行っても剣先スルメは売れませんでした。神さまはどうも剣先スルメを売ることではなくて、もっと違うことを安太郎青年に得てもらいたくて導いたのでしょう。

そして動揺しそうな安太郎青年を神さまは支えてくださいます。ですから後年、「神さまがそう(動揺しないように)思わせてくださったんじゃ。と解釈しました」と振り返っておられるのです。この動揺しない元気な心で祈りぬくことこそ信心の生命なのです。

 お知らせを頂くというところだけに焦点を当てるのは間違いでしょう。むしろ少々おかげが手間取っても動揺せず願いを貫いていく、そういう信心を培うことにこそ、私たちは努めていかねばなりません。


(この「教風」は、2013年3月に掲載されたものです)
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