「教風」 (連載第95回)


 神さまがオーナー


 店を経営している方が熱心にお参りされます。毎日、売り上げの目標額をお結界に持参してお願いされます。店は折々に改装を施して見た目を変えねばなりません。直しやしつらえの変更は、お客さんに喜んでもらうためのもので、そうした経費も目標額に入っているとのことでした。
 ただ商売というのはいつも好調というわけにはいきません。目標額に届かない日が続くこともあります。私も日々ご祈念していて「今日も届かなかったかあ」と言う思いが浮かびます。
 もちろん当のご本人は気が気ではありません。しつらえどころか次の支払いができるだろうかと不安になり、お結界でその辛さを訴えます。
 そんなとき、私は「何か変だな」と感じました。そしてお結界でその方に申しました。

「私もあなたの持ってきた目標額を神さまにお取次してきたが、よくよく考えてみると何かおかしい。初代大先生は商売している方にいつも『神さまがご主人』と説いておられた。
 今風に言えば『神さまがオーナーで自分は従業員』だ。あなたはオーナーではない。従業員だ。従業員なら何のしつらえにいくらいる、どこで費用を調達しようかなどと考えたりしない。ここを直してもらいましょう、とオーナーに言うだけだ。もちろん改装の効果と費用のお繰り合わせいただけるようにと、ご祈念は欠かしてはいけません。
 毎月の支払いだってどうしようなどと考えない。そもそも目標額を設定してその差にやきもきすることから間違っていた。『そろばんを持つな。願いにひびがはいる』というみ教えがある。あそこを直してくださいと、そのことを懸命に願っていく。オーナーの商売繁盛を願っていくのが従業員の信心でしょう」
 そう言わせてもらいました。

 ○つい、自分ががんばらねば
 こんなふうに申したのは、その信者さんがなってないと、上から裁いたからではありません。実は私自身がそうなのです。むしろ自戒の言葉なのでした。
 このたび、大祭後から秋の霊祭までお広前の耐震改修工事が進められています。皆さんもお分かりのようにかなり大掛かりな工事です。この工事が決まったとき、私は気を引き締めました。これまで以上に御用に精を出さねば。教会長なのだから自分ががんばらねば――。
 しかし時間がたって落ち着いて考え直してみると、「ちょっと違う」と気づきました。御用に精を出すことは良いでしょう。しかし「教会長だから自分が」というと、神さまを差しおいて自分が前に出てしまっている。私たちはどこまでも神さまにお働きいただいて使っていただいていかねばならない身です。

 初代大先生は、神さまに、「一切万事お願いする。神さまとともに勉強する。経済に気をつける。家庭円満、子供の教育に気をつける。親先祖を大切にする。すべてをあなたの思し召しにあわせていく。借金の断りを言う」という八つの役割りのみに専念いたします。そのかわり主人としての仕事はお願いしますとお任せしました。
 その話は、人にも申し、よく分かっているはずなのに、いざというと「私ががんばらねば、教会長だから」と自分がでてきてしまうのです。店の経営者の信者さんを見て、人ごとではないと反省したような次第です。



(この「教風」は、2013年5月に掲載されたものです)
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