「教風」 (連載第96回)


 祈りはストレートに筋道を立てて



 ある方が「以前、三代大先生にお取次を願って失敗したことがあります」といわれました。

 これまでより大きな車を買いたいと思い、お届けしたときのことです。その車がどんなに自分にとって便利か、経済性も良いかなどといろいろ申し上げていると三代大先生が「あんたはその車が欲しいんか欲しくないのか」「それは欲しいです」「だったらこの車が欲しいンです”と素直に言いなさい。ストレートに願わないといかん」と厳しく諭されたのだそうです。その方とすれば、「贅沢ではありません」ということをいろいろ申し上げたのでしょう。が、それではかえって神さまに届かぬと三代大先生に教えられたのでした。

 ご祈念は迫力が大切です。自分の気持ちを素直にはっきりと、神さまどうぞこうしてください、と願わねばなりません。上品にご挨拶するのがご祈念ではありません。少し信心が分かってきたときに、かえって陥りやすいことかもしれません。
 ただその一方で、うんうんと力をこめて願えばいいのかと言うと、そうばかりとは限りません。願いは筋道を立ててこそすぐおかげになる、ということもあります。

 ○役前を果たさせてください

 二代大先生が健在の頃のことです。親御さんの世話をなさっていた方が、皮膚病にかかりました。よくお参りしてお取次を願い、自分でも懸命にご祈念を重ねるのですがよくなりません。いずれよくなるだろうと思っているうちに一年たち、快方の兆しもないままに痒(かゆ)みを辛抱するのがたまらなかったそうです。「痛いのも辛いですが、痒いのはもひとつ苦しいものです」と話しておられました。依然痒みは衰えず、そのため夜もぐっすり眠れないほどでした。
 これだけお願いしてもだめならば、この苦しみは一生続くとあきらめなければならないのかと絶望しかかったときでした。
 前に聴いた二代大先生のお話をふっと思い出しました。それは「親をだしに使え、そうすればおかげが早い」というお話でした。この神さまはなにより親大切ということを喜ぶ。だから何でも親にひっかけて「親のために親を安心させるためにこのおかげを」というように願っていけば、漫然と願うより神さまはずっと早くおかげをくださる、というような内容でした。

 自分は今、親の面倒をみている身。「かゆみをとってください、皮膚病を治してください。そうして親の世話をきちんとさせてください。親の世話をするために健康にさせてください」と、こう願いだしました。するとその晩は久しぶりに熟睡でき、それから病気が快方に向かってひと月で全快のおかげを頂いたのだそうです。

 信話集にも、〈病気してもただ早く良くしてくださいではだめだ。早く治していただいて私の役前をさせていただき世のため人のため働かせてください、とこうくればおかげは目前だ〉とあります。
 お話を浴びるほど聴き、信話集を読み込むことがおかげの受け物をつくります。ただお参りしているだけの信心ではもったいない。
 そして信心を練ったつもりでも、いつのまにかずれたり曲がったりすることもあります。冒頭の三代大先生のお取次をいただかれた方のように、お結界に足を運んで自分の信心を正しつつ信心の道を進んで行きましょう。



(この「教風」は、2013年6月に掲載されたものです)
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