「教風」 (連載第97回)


 願いは大きく



 この銅板の大屋根には私も子供の頃の思い出があります。「あぶないから大屋根にはのぼったらいかん」と注意されるも「したらいかん」と言われるとなおさらやりたくなるのが男の子の習性でして、どうしてものぼりたくなり、今の東の間の窓からおりて大屋根にとりつきました。
 移動改修工事以前のことでしたので現在のような構造ではなく、ガラス戸から向こうの部分がないわけですから屋根から転げ落ちたら道路へ激突してしまいます。大変危険なわけです。しかも大屋根は途中から急角度になっていますからてっぺんにあがったときはどきどきしました。無謀なことをしたものです。
 そんな記憶もあって阪神大震災のあと大屋根の状態を見渡していて、いっそ屋根にあがってしまえと上ってみました。傷みぐあいをみているところへ余震が襲ってきました。銅板がうねるのがよくわかりました。
 今回、銅板をはずしてみると内側の木はしっかりしていて全く傷んでもおらず、さすがに初代大先生の吟味された木材であると改めて感銘をうけました。

 ○節年の今だから
 サッカー日本代表がワールドカップ出場をきめた試合をみていました。主力選手に、大口を叩(たた)くように、いつも高い目標を設定して自分と周囲を奮い立たせようとしている選手がいることを知りました。

 近頃では珍しいタイプだなと思いました。何やら年寄りじみた言い方ですが、最近の若者は、若者らしくなく、周囲ともなるべく波風を立てずおだやかに生きて行きたいなどという人が多いようです。若者は若者らしく高い理想や目標を熱く語ってもらいたいものです。というのは実は金光教の行き方がそうだからです。信心する人は明日も家内安全にいけば万々歳、なんて言っていたら困ります。
 教祖さまは「(神は)向こうはあけ放し」とおっしゃり、信心すればどんなおかげもいただけると励ましてくださいました。初代大先生にいたっては、「おかげいただきまして」とお礼に来た人に「なんや糸尻一杯のおかげ大げさに。もっともっと大きいおかげを」と発奮するように促されました。糸尻とは茶碗のお尻のところです。
 私も「今や、今でなくちゃならん」と決意して工事に踏み切りました。今とは節年ということです。

言うまでもなく今年は、教祖百三十年のお年柄、そして来年二月一日二日は初代大先生七十年祭が控えています。いわば「今」はダブルの節年の時なのです。節年の大切さについては三代大先生がわかりやすく説いて下さっています。節の年は神さまが私たちの信心に対して何時にもまして徳を培おう育もうとされている時だということです。

 こういう時期にこそ、自分を追い込み一層神さまに向かえ、と自らを叩いてしばいて信心を進めさせなければなりません。
 そのためには目標がほしい。嫁さんと仲良く、孫に大切にしてもらいたい。そんな糸尻のおかげでは腰がひけてます。「世界一になるぞう」というサッカー選手に負けないような大きな目標を掲げて、私たちもこの大切な節の年を元気に駆け抜けてまいりたいものです。




(この「教風」は、2013年7月に掲載されたものです)
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