「教風」 (連載第98回)


 総祈念と別祈念



 お広前の耐震補強も大屋根の葺(ふ)き替え工事も、おかげ頂いて順調に進んでいます。ありがたいことです。ただひとつお詫びをしなければなりません。当初はお広前に床暖房を施すという計画でしたが、残念ながらこれは今回見送りに致しました。出社の教会で床暖房を施している教会がいくつかあり「大変具合がいい。エアコンもいらないくらいです」と聞かされ、それならこのたびの工事に併せてこのお広前でも、と考えました。ところが業者によりますと、玉水教会の会堂のように天井の高い建物では、暖気が上がってしまってなかなか温まらない。エアコンも併用しなければならない、のだそうです。となると電気の容量を大きく増やさなければならず、おおごとになります。第一、節電が求められている社会の向きにも逆行します。床暖房はできませんが、資源を大切にしながら快適なお広前の環境を目指して行きたいと思っています。問題はそのお広前でどういうご祈念をしていくのかということです。

○伊勢神宮に参拝してきました
式年遷宮をひかえて伊勢神宮へのお参りが盛んです。私も玉水教会の出社の先生方とお参りしてきました。今回は、神宮と関わりの深い皇學館大学の岡田教授の懇切な説明とご配慮をいただき、有意義なものとなりました。それこそいろいろな話を聞かしていただき、興味深くもあり勉強にもなりました。
「伊勢神宮では、個人的なお願いはしてはならない」という規律があります。一般的に神社に参れば、合格祈願や商売繁盛を願ったりするわけですが、伊勢神宮ではそういう願いはすることができないのだそうです。それはお祀(まつ)りしてある天照大御神(あまてらすおおみかみ)が日本中の人々を氏子としているので、それぞれの人の願いを聞いているとあちらを立てればこちらが立たずと言う状態になって神さまがお困りになるからだそうです。そこで天下泰平などの社会のこと、国家のことのみをお願いするということになります。

 金光教の言葉で言えば、別祈念はなしで総祈念のみということでしょう。毎回のご祈念のとき読み上げて神様にご祈念しているご拝文のようなことです。
 天地金乃神さまにはもちろん総祈念も別祈念もできます。というより、どうしても私たちは自分の身近なことにばかり目がいきがちですので、別祈念にばかり力がはいり、総祈念はおろそかになりがちです。体のことお金のこと人間関係のことなど、少し信心が分かってくれば神さまに願わずにはおれないことばかりですので、そちらを一心に願うのはそれはそれで結構なことです。しかしそればかりでは、このお道の信心をしている者というにはやはり寂しい。
 初代大先生は好物のブリが食卓にのらなかったとき、お詫びされた奥様に対して「あるとこにはあるねん」と言い放ちます。「どこにおます。買うてきます」「海にある」。まるで駄々っ子が難癖つけているようですが、初代大先生は奥様に、身近なことから信心を伸ばしていって広く社会を祈る大きな信心を教えたかったのでした。そして素直に大漁を祈りつづけた奥様の祈りが通じて、ブリがお供えになりました。
 このように別祈念を伸ばしていって総祈念にいたる道筋も『信話集』にはやさしく述べられています。社会のこともしっかり祈らせていただき、信心の目的の一つである金光教の信奉者としての役目を果たさせていただきましょう。




(この「教風」は、2013年8月に掲載されたものです)
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