「教風」 (連載第99回)


 神さまのおはからい

信心していれば、何事も順調にうまく進んでいき、自分の思惑どおりにいくものだ。信心がよく分かっていないときはそんなふうに考えがちです。しかし信心していても事は起こってくるのです。それは、神さまがその問題を通して私たちの信心を成長させ、さらなる信心の高みへ引っ張りあげてくださろうというところから起こってくるものです。ですから「困った、困った」と腕を組んでいないで、神さまの思(おぼ)し召しを分からせていただくようにするとおかげも早いのです。

 ○なぜか引き受けてしまった
 平成十九年(2007)の暮だったと記憶しています。金光教大阪センターの所長と次長が私に会いたいとお越しになりました。用件は想像がつきました。大阪センターの建設委員長を引き受けてくれないかという依頼です。お会いする以前に、きっぱりお断りしようと心に決めました。

 経緯はこうでした。その前年に船場教会が解散することになりましたが、教会は個人の持ち物ではありません。教団のものです。そこで船場教会の土地建物を売却して、新しく大阪センターを建てようということになりましたが、船場教会とは手続きも異なり、立場上、私がしなければならないという質のものではありません。加えて、お金の絡むことには色々な問題も発生しがちです。

 ところが私は「お引き受けします」と言ってしまいました。さあそれからは大変でした。当時は不動産建設のミニバブル状態でしたので良い値で売れました。ただひっくり返せば買う方も高いということです。委員会であちこち見て回りましたが恰好な物件はありません。競売にもいくつか参加しましたが芳しくありませんでした。この計画には期限があって、平成二十一年十月までに完成させないといけないのです。前年の夏なのに土地さえ決まっていません。
 ただ思いもかけず、いくつか分かってきたことがありました。名古屋・東畑教会の初代、奥地信太郎師三十年祭に出向いた折に、信太郎師が元はは船場教会で信心をはじめ、隣接の玉水教会に用事で参って初代大先生にぞっこんになり、玉水へ修行に入ったことをお聞きしました。また戦災で焼けた船場教会の復興に、二代大先生が尽力されたことも知りました。その他、玉水にとって船場教会は、単なる隣接教会でなく深い縁のある教会だということが次第にはっきりしてきました。自分でも、どうして引き受けてしまったのだろうと首をかしげた建設委員長の件も、実は神さまのおはからいであったのだと分かりました。縁の深い船場教会の締めくくりから大阪センター再生へのご用にあたることは、神さまはもちろん初代、二代大先生の願いであったのです。

 その後リーマンショックが起こり、またたく間に世界中が不景気に覆われました。信奉者の中に甚大な影響をこうむった方も多く、これ自体は辛いことでした。が、ことセンター建設に関しては大きな追い風となりました。地価が下落しこれまで手の届かなかった物件が取得できたからです。神さまのおはからいと分かって自信のついた私は、記念館を設計した日建設計の渡辺さんに、独創的な建物をとお願いし、しっかり応えてくださいました。この設計については建築に係わる賞までいただきました。そして期限内の平成二十一年九月、無事竣工し、私は委員長の任を全うすることができました。

 このセンター建設の件でも、神さまのおはからいをさとってから物事が順調に運び出したということを強く感じています。




(この「教風」は、2013年9月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧