「教風」 (連載第101回)


 祈念力


 教祖さまは「私にも欲がある。世界の人を助けたいという欲がある」とおっしゃいました。金光教の信心をする誰もが目指すべき指標である、とも言えます。当然、私にもこのお言葉のような思いはあります。

 ところがどうしたことか、ある頃から、どうもご祈念帳を繰っていても力が入らない、願っている信者さんの姿が生彩を放たないような気がしてきました。こんなことでは神さまに申し訳ない。これは神さまに向かう力、突き進んでいく力が足りないからだ。祈念力だ―祈念力を高めるおかげを頂こう、と思いました。それにはただ読んだり考えたりしていただけでは力はつかないだろう。実行することだ、と自分なりに工夫して修行に取り組むことにしました。

 二代大先生は、凍りつくような厳寒の夜、内殿でご祈念するに当たって、周囲にいくら勧められても、頑(がん)として暖房を用いられませんでした。
「私が、暑いから寒いからと言うたなら、ご祈念が神さまに通らんようになる」というお気持ちからです。

 現在は建物の気密性がよくなったせいでしょう、冬のご祈念であっても、体が凍えるということはそうありません。その代わり暑さは格別です。とりわけ、今年は工事の関係でほこりが入ってこないように、お広前の周囲に板で覆ってもらったので、夜になっても熱気がこもっていました。その中で二代大先生のお気持ちにならって冷房や扇風機もつけずご祈念に勤(いそ)しみました。

 ところがある日、汗を拭き拭き拭きご祈念していますと、急に頭がガンガンと痛くなってきました。「熱中症か」と思い、慌てて部屋に上がり、体を冷やし、冷水を補給してしばらく休み、おかげを頂いて翌日は何事もなく御用を勤めることができました。
 それからは、さすがに扇風機を回しておくことにしました。こんな失敗をしながら修行しているわけですが、神さまに向かう力がいくらかだけでも強まったなあ、という実感はそう簡単には湧きません。ご祈念力は培われているのだろうか、とも思いました。

 ただしかし、ひと頃のような、「もひとつ力が入らんな」という感じはなくなりました。信者さん方の願いを受けたときでも、そのお願いが鮮明に感じられるようになりました。

 ○人を思う力
 そんな折、銀座の初代先生のお話を読んでいて、「祈念力は、世間で言う神通力―何事も実現させてしまう不思議な力、のことを言うのではない。人を思う力である。玉水の大先生が『人を思うこと人後におちず』とおっしゃった、その祈念力である」という箇所に出合いました。「そうか、自分は神さまのお導きのままに祈念力を培う修行をさせていただいているのだ」と、有り難く思えました。

 ここまで申しますと、信者さんの中には、「それは先生、取次をなさる先生方の話であって、私たちには、もひとつ遠い話です」と言う方があるかもしれません。しかし祈念とは、金光教の信心の中心です。家族や近所の人の助かり、更には社会のことを祈っていくのが金光教の信心です。「そんな高い次元のことは求めていません」と逃げずに、祈念力という素晴らしい世界を求めていけば、当然、神通力ぐらいのことはその中に現れてくるのです。そのことは、教祖さま、初代大先生が実証してくださっているということです。思い出していただきたいと思います


(この「教風」は、2013年11月に掲載されたものです)
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