「教風」 (連載第103回)


 信心辛抱



 あけましておめでとうございます。平成二十六年の新春を無事迎えることができました。本来ならばお正月らしい話題が欲しいところですが、今日一月一日は、二月一日の一か月前、つまり初代大先生七十年祭が目前に迫った緊張を強いられる時点ということでもあります。

 玉水の信心を求めるものにとっては、なにより大切な初代大先生のお祭りを前にして、身も心も引き締めるべき時期であるとも申せましょう。
 さて、教祖さまの晩年に教えを受けられた先生方は、教祖さまがいつも辛抱――信心辛抱ということを仰せられていたと伝えてくださっています。
 また、初代大先生も信話集のいたるところで、辛抱を語っておられます。「何をおいても辛抱でんなあ。辛抱ですぞ。辛抱というものが徳を積むもとです」というように、信心生活のもとであることを強調されています。
 この教えは、金光教の信心の大きな柱であると言って差し支えないでしょう。そこでお正月の華やかさには少々合わないのかもしれませんが「辛抱」について考えてみたいと思います。

 ○「ごちそうさん」を見て
 NHKの朝ドラ「ごちそうさん」が好調です。私はあまりテレビは見ない方ですが、これはチョコチョコ見る機会に恵まれました。大正時代、とにかく食べ物に関心のある東京の女の子が大阪の学生と恋愛して大阪に嫁入りして小姑にいびられる話です。深刻で辛そうな話に聞こえますが、その辛抱が何か明るく救いがあり楽しく見ていられます。「こういう辛抱もあるんやなあ」と、見る方は「おしん」の世界のただただ苦しく辛い辛抱とまったく違うものを見出してホッとします。私もその一人ですが「毎週毎週何かあっても週末にはハッピーエンドになる。そんな具合よく運ぶものかいな」と、ときにツッコミたくなります。

 私も教会長就任以来、さまざまな問題に直面しました。よくもこれほど多くのことが起こるものだと、感心したくなるくらい、いろいろなことが持ち上がります。それでも神さまに心を向けて辛抱していきますと、時の経過とともに神さまが私に何を要求されているか分かってきます。それはほんとうに鮮やかなものです。毎週末には問題が解決する「ごちそうさん」のように確かなので、あながち作り物のドラマだからと馬鹿にできません。
 信心すれば、現実の世界でも求めていくうちに解答は与えられる。そしてきっと助かる方法がある。必ず助かりの道がついていくと分かっている信心辛抱は、暗い「おしん」の世界よりも明るい「ごちそうさん」に近いのです。

 そもそも湯川安太郎は主家が倒産したあと、小売を始めました。もっと楽な境遇にいくことはいくらでもできたのに、三代金光様は安太郎青年を敢えて地の底をはいずるような小売の商いに導かれました。そのなかで、安太郎青年は辛抱し辛抱し、お金の価値、また信心によるお金への対し方を神さまから教えられ、やがて「神さまがご主人 自分は奉公人」の信心を練り上げて、玉水教会を創設してたくさんの人を助けました。そうすると湯川安太郎の味わった辛抱が、どんなに価値のあるすばらしいものであったかが分かります。

 私たちの信心は、安太郎青年の信心辛抱にその多くを負っているといっても言いすぎではないでしょう。辛抱を恐れず、神さまにいだかれながら、私たちも信心辛抱の道を歩ませていただきましょう。

(この「教風」は、2014年1月に掲載されたものです)
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