「教風」 (連載第105回)


 節年の力



 初代大先生七十年祭を無事お仕えさせていただき、本当にありがたいことです。教祖さまは「三年三年また三年」とご理解くださり、信心の世界でひとつのことをなしとげるのに三年という単位をお示しくださいました。

 思えばちょうど三年まえ、「初代大先生七十年祭奉迎委員会」を立ちあげ、七十年祭にむけて助走を始められたのは神さまのお計らいであったのでしょう。千日信行として日参にはげみ、節目の信奉者大会などの信心体験発表で信心を練りあっていく。また、公開講演会や有志による徹宵(てっしょう)ご祈念会という取り組みもありました。ともかくこの三年間、さまざまな機会を通して信心をみがくことに精出すことができたのはありがたいことでした。

 特に去年・今年はお祭りも目前に迫り、節年ということにそれぞれ思いを致し、信心みがきの上に、みなさん一層おかげを頂かれたことと思います。私もお年柄の取り組みをさせてもらおうと考え、カウントダウン二百日から勢祈念に力を入れさせてもらいました。

 具体的には、夜のご祈念帳祈念のあと、十巻の神前拝詞ご祈念を日課とさせていただきました。去年の夏は酷暑でした。「あゆみ」十一月号でも申し述べましたが、夏のあいだは特に修行でした。夜のご祈念は仮広前である記念館をはなれ、工事中の広前内殿でさせていただいていました。内殿は工事に掛からなかったからですが、ほこりが入らないように囲ってあるので熱気がこもって暑い。そのなかでいつもより小一時間長く正座することになるので足も痛くなっていく。で、少し体を倒し気味にすると足は楽になりますが、今度は睡魔におそわれる。この眠気に対する修行がつらさの一番で、どうかすると神前拝詞の途中でわからなくなって、十巻おえるのに一時間以上かかることもよくありました。

 ところが日を重ねて暑さが去ると、眠さも足も慣れたのか、楽にご祈念ができるようになりました。そうすると面白いもので、「せっかく修行やと始めたのに、こう楽では何か物足りんなあ」などと思い、汗を拭き拭きがんばっていた夏の頃が懐かしくなったりします。けれども、そのうち冬になれば寒さが身にしみて修行になる。こう思っていたのですが気密がよいせいか、冬場の内殿は深夜でもそう温度が下がりません。どこか食い足りないような気持ちのまま、神前拝詞十巻の修行はおえました。否、実は事情があって、一月三十一日はどうしてもできなかったので満願とはなりませんでした。
「そうか。のちのちのためにと神さまがとっておいてくださったのだ。お祭りがすんでからやらせてもらえばいい」と思い、やってみましたがこれができないのです。

○百十年のお祭りはしないが
 節年の勢いとか力といったものがあるのです。自分で修行していたようですが、本当のところは、神さまからお力を頂いていたのです。

 明年は布教百十年のお年柄ですが、特別なお祭りはいたしません。ですが、「平成二十七年2015年」という年は、やはり節年です。この節年を見逃してしまうのは、信心を練る上でもったいない。私も二百日前あたりから、また取り組みたいと思っています。節年だからこそ取り組める修行というものがあるはずです。それぞれに課題を自分に課して信心研鎮(けんさん)にはげみ、節年のおかげを頂いてまいりましよう。

(この「教風」は、2014年3月に掲載されたものです)
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