「教風」 (連載第106回)


 先に「お断り」申し上げる



 初代大先生七十年祭をお仕えし終えたら、じっくりお結界に座らせていただこうと思っていました。が、神睦旅行や、出社教会の年祭などが続き、落ち着いてお結界に座っておれなくなりました。とりわけ二月以降、日曜はずっとスケジュールが詰まり、そのうち霊祭に入るというようなことで日曜にお参りされる信者さん方には申し訳ないことでした。

 そうしてお広前を離れねばならぬときは、初代大先生が教師の資格を得るためにご本部に行かれたときのことを思い出します。
 玉水教会は明治三十八年に布教を開始しましたが、実は初代大先生はその時点で金光教教師の資格をまだ持っておられませんでした。書類上は大阪教会の二代白神先生が兼任という形でスタートしました。その後どうしてもご本部で講習を受ける必要が生じ、明治四十年の十月から翌年三月まで、初代大先生は教義講究所(今の金光教学院)で講習を受けられました。玉水のお広前にはすでにたくさんの信者さんがお参りされていたので、半年近くお広前を離れるということは大変な問題でした。そこで初代大先生は「私がいなくても私同様におかげ下されば参ります」と神さまに申し上げ「代理、聞き届けた」というお言葉を頂いたのでした。(信話第八集70頁)
 この事績を思い起こし、私もお広前を留守にするときは神さまによくお断り申し上げ、初代大先生に(お願いします)とお頼みして出て行きます。

○お神酒を持って右往左往されたが
 「お断り」ということで言えば、初代大先生がお神酒をお供えしようとして、ご神前で右往左往してしまうという話もあります。
 お供えのお神酒を神さまは.飾りじゃ.とおっしゃるので、これはお供えした場所が悪いのかと、正面から右横に持っていくと「目障りじゃ」。左に持っていってもだめで「どこがいかんのかなあ」。ふとお神酒のビンの詰めを「これがいかんのかなあ」と抜いてお供えすると「それでええ」とおっしゃった。
 前もって「詰めしたままで、お供えさせていただきます」と申し上げていたら、それですむことだったのに、というお話です。(信話第十集5頁)
 教祖さまは不浄のある時は「先に断わりおいて、願いあることを頼めよ」(教典理解V神訓32)と教えてくださっています。不浄というと何か特殊な場合と思いがちですが、初代大先生はそれを信心の広い問題に展開されました。

 前もって、神さまにお断りしておけば神さまが都合をつけてくださるのです。初代大先生がご本部に出向かれていて半年の留守の期間があっても、玉水教会の比礼は変わることはありませんでした。私も神さまにお断わり申して他出して、おかげを頂いています。
それを「遊びに行っているのでないのだから、神さまも分かっておいでのはずだ」と甘えた気持ちでいて、何も申し上げないでいると、お神酒を持ってご神前で右往左往された初代大先生のようにきりきり舞いさせられることがあるかもしれません。

 神さまはきっちりはっきり、されているのです。
 そして、差し支えのあるときは、そのわけをご神前で丁寧に神さまに申し上げ、お許しいただきお繰り合わせを願っていく、そういう姿勢をもつことが大切です。ぼんやりとお礼やお願い申しているよりも、よりはっきり神さまを意識する生活につながっていくからです。

(この「教風」は、2014年4月に掲載されたものです)
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