「教風」 (連載第108回)


 お祭は神さまがしてくださる



 今年の二月一日、私は体調を崩してしまいました。大切な初代大先生七十年祭がいよいよ迫っているさなか、熱っぽく、咳き込みもあり、ふだんだったら横になるような状態でした。

 今日はこれから瓜破の墓前祭で祭主をつとめ、午後から一日目の祭典、そのあとに習礼、明日は二日目の祭典、さらに来賓をお招きしての偲ぶ宴と、ハードなスケジュールが待っています。

 「何とか神さまにおすがりしておかげいただこう」。こう決心して瓜破に向かいました。とはいえこんな調子では祭詞も奏上できるかどうか、ひょっとして咳き込んでしまうのではないかと、そんな不安も頭をよぎります。車の中で待機していて、ふと外を見ると、たくさんの方がすでに参っておられたのですが、皆さんコートを着ていない。暖かいのは分かっていました。それにしてもこの厳冬の季節にコートがいらないとは。申すまでもなく、風邪引きに対処するのは暖かくすること。それが天地のほうで暖かくなさってくださった。まるで私のために神さまがしてくださったようでした。あの感激は忘れられません。体が楽なのはもちろん、後のことも大丈夫、神さまがついていてくださる、と確信すると力が湧いてきて、祭詞の奏上、挨拶もつつがなくさせていただけました。そしてその後の予定も無事につとめ、三日のご本部御礼参拝も支障なくおかげをいただきました。

 お天気のことは神さまの領分ですから、あれこれ申すことはできないと、承知はしております。しかしこのたびはまざまざと神さまのお力というか、おはからいを感得でき、ありがたいありがたいことでした。

 ○喜ぶばかりでは

 さて、このように祭典直後は、ただただ喜んでいるばかりでした。しかし時間がたつにつれ冷静に考えてみなくては不十分だ、ということに気づきました。おかげをくださった神さまのお心をしっかりいただいておかないと信心の向上にならない、さらに大きなおかげにつながらないということです。

 気がついたのは「お祭は神さまがお仕えになる」ということです。
 かつて初代大先生五年祭の折に、初代銀座の先生が「五年祭を仕えさせていただきます」と初代大先生のご霊前で申し上げると、「お前達に仕えてもらうのではない。今日のお祭は神さまがお祭をしてくださる」と教えられた。そういうお話があります。

 祭典では、いつも祭主の私が一番目立つので、「大先生がお祭を仕えている」と思う方がおいでになるかもしれませんが、私も神さまから与えられた役前(やくまえ)を果たしているだけなのです。しかし祭主のお役を仕える私がダウンしたならば、そのお役自体は代わっていただけるにしても、「教会長はどうした。寝ている? おやおや」とお祭そのものの格が落ちてしまいます。祭主のお役を私が全うできたのはこうした理由からでしょう。となれば当日ご用された、たくさんの方々も事情は同じでしょう。神さまが挙行者として責任者として、担わせたご用がやり遂げられるように全面的にバックアップなさってくださったにちがいありません。

 ただ「うまい具合にいきましたなあ」ではもったいない。神さまのおはからいを実感し、神さまにお使いいただけたことを心からお礼申すことが、七十年祭という大きなお祭をいただき、次のステップにかかる足がかりとなると存じます。


(この「教風」は、2014年6月に掲載されたものです)
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