「教風」 (連載第109回)


 磐石の祈り



 初代大奥様は戦争中、しばらく疎開されていました。
 ところが、空襲が始まると教会にもどってしまわれ、「ここで死なしてもらう」と言われました。二代大先生もそんなお気持ちにさからわず「ここにいてください。神さまの思し召しならば一緒に死にましょう」と答えられました。

 空襲警報のサイレンが鳴り出すと、教会大広前は真っ暗になりましたが、唯一薄明かりをつけた場所があり、そこで初代大奥様は少し前かがみに正座して、ご祈念をしておられました。

 びりっとも動かぬその小さいうしろ姿が、二代大先生には磐石の重みをもって感じられ、「母がおってくれるあいだ教会は大丈夫だ」との思いをもたれたのでした。
果たして大みかげのもと、玉水教会は焼け残りました。

○じっくりと地道に
 私は初代大奥様がどうやってこのような磐石の祈りを培われたのだろう、とよく考えます。手がかりはあります。例えば、あのブリの話。
 初代大先生がよく召し上がっていたブリが不漁で魚屋さんに出回らず、食卓に供すことができないので、初代大奥様がそのことをお詫びされたことに対して大先生は、「ブリはある」「どこに?あるなら買いに行きます」「海にある」と。

 こんな無茶なことを言ったら、今なら大ゲンカです。当時だってたいていの奥様は「あほらしい」で終わってしまったでしょう。
 が、初代大奥様は、初代大先生のお話に耳を傾けられます。
「自分の力ではどうにもならんから、神さまにお願いするやろ。お願いして大漁のおかげ頂いたら漁師も魚屋もみなおかげ頂くことになる。それをお願いしたか。信心といい、お願いというたら、そういうことや」。

 初代大先生の方では、それっきり忘れてしまっていましたが、それから二、三日するとブリのお供えがありました。びっくりして神さまにお詫びし、「家内はあれからお願いしていたらしい」とわかったのでした。
 ただ「ブリが買えますように」という祈りではなく、もっと掘り下げて社会や経済のことまで祈っていくのが金光教の祈りである、と初代大先生が導くと素直に実行されたのでした。

 考えてみますと、信話集には初代大先生夫妻のやりとりが数多く出てまいります。「姉さん」と呼んでいた物乞いの女性に事寄せてお恵みを感得する話……。布教当初「あんたは大病や。お米食べたい病や」と初代大先生が奥様に布教の心構えを促した話……。そのどれを当たってみても、初代大奥様は感情を表(おもて)にだして言い返したり、表面だけ従うふりをして聞き流したりすることなく、初代大先生のおっしゃるところを真っ向から受け止めてじっくりと祈りを深め、信心を培われています。

 奥様だからといって初代大先生から特別の秘伝を頂いたということはありません。
 逆に言えば私たちだって努力していけば、初代大奥様のような磐石の祈りの境地に達することは可能なのです。そのことをよく肝に銘じて、初代大奥様をよいお手本とし、信心の歩みを地道に進めて参りましょう。


(この「教風」は、2014年7月に掲載されたものです)
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