「教風」 (連載第110回)


 宝 物



 青年会は今年創立百年を迎え、七月十二日には記念の式典を挙行しました。百年前、初代大先生がその青年会で何を説かれたのか。それはまず「親の恩」だったようです。初代大先生が大病にかかり、「大恩ある親を置いて死ねません」と神さまに願ったのが信心の第一歩でしたから、そこから話をされたことも頷けます。

 ただ、恩に報いるのは難しいことです。親の恩にしても、私自身二人の子をもって思うのですが、親が子を思うのと、子が親を思うのでは格段に親が思う方が深いわけで、子が親の恩に報いるというのは大変なことです。ですから私は、恩に報いるとまでいかなくても、親に喜んでもらうということに努めるということが大切であり、それが信心の上の土台にもなることだと考えています。
 私自身がそうでした。

 ○二代大先生に喜んでもらいたい
 私の場合は正確にいうと祖父である二代大先生に喜んでいただきたい、ということでした。三代大先生にはちょっと申し訳ないですけれど。
 アメリカに留学が決まっていよいよ出発というとき、父が「おまえは大先生(二代)の死に目に会えないかもしれん」とぽろっと漏らしました。その言葉が気になって夏休みに入るとすぐ日本に戻ってきました。

 はじめの年は帰国の挨拶をすると、祖父はすごく喜んでくれました。翌年は衰えが目立ち、目に力もなく、挨拶をする私がわかっていない様子でした。それでもだいぶたって「正夫、帰ってきたんやなあ」とつぶやいていると祖母から聞かされ、また挨拶に走っていきました。三年目には、話ができるような状態ではなくなってしまいました。

 そして翌年学業は卒(お)えたものの、私はどこかへ編入してアメリカでの学生生活を続けようと目論み、それまでの間日本に帰って来ました。

 まもなく秋季霊祭を迎え、私は二代大先生の玉串奉奠を介助される彌壽善先生の手伝いに当たりました。このときは大先生の体調もよく無事に奉奠されました。
 しかし一ヵ月後の大祭の折はとても無理な様子に見えました。むしろ、いつ何があってもおかしくないような状態に思えたのです。ともかくも様子をみてという打ち合わせになっていました。彌壽善先生とテレビのモニターでお祭の進行を追っていると二代大先生の気色が急速によくなっていくのです。これならということで着物に着替え、車椅子を押して広前に向かいました。二代大先生の体に力が入っていくようでした。とはいえ、ご自身では扇子も握れなければ玉串も手に持てません。私が案じながらみていると、車椅子が神さまの真正面に来た途端、二代大先生の視線が定まりました。厳しい強い眼差し、元気なころ神さまに肉迫していったそんな迫力さえ感じさせる視線でした。私は身震いするほど感動しました。

 「自分はなにをしてんのや」と心から思いました。一刻も早く教師になって二代大先生に喜んでいただきたい。私の心が転回した瞬間でした。

 残念ながらその願いは間に合わず叶いませんでした。その点でも、私には悲しい二代大先生のお葬式でした。もっと早く気がついていたら、二代大先生に喜んでもらえたのに。
 しかし誰に教えられたわけでもなく、自然に気づかしてもらったというのはありがたいことです。この転回こそ、私の信心の宝物であります。


(この「教風」は、2014年8月に掲載されたものです)
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