「教風」 (連載第115回)


 布教百十年のお年柄



 あけましておめでとうございます。
 平成二十七年、二〇一五年の新春をお迎えすることができました。

 昨年は、初代大先生七十年のお祭りが年明け間もなくに控えていましたので、お正月もかなり緊張して過ごしていました。そして大みかげのもと、無事お祭りを仕えさせてもらい、その後の十一ヵ月はまだまだ長いと思っていましたが、「節年だ」「節年の信心に取り組まねば」と言っているうち瞬く間に年末になってしまいました。これといった信心の足掛かりも残せぬうち一年が過ぎていったことが心残りになり、年を越しました。

 しかし、今年も節年です。
 今年は初代大先生が三代金光様から「布教のおかげを受けよ」とお言葉をいただき、土佐堀裏町に布教されて百十年になります。あの布教百年祭、全国からのたくさんの参拝者がお広前にあふれた記念大祭から十年がたったということです。覚えている方もおありかと思いますが、布教百年の折は、その前年が初代大先生六十年祭でした。言うまでもなく毎度、大先生の式年と布教の十年ごとのお祭りが踵(きびす)を接するように巡ってくるのです。

 あるとき三代大先生に「大先生の式年と布教の記念大祭とではどちらが重いでしょうか」とお尋ねしたことがあります。それは三代大先生の晩年、平成五年に二代大先生五年祭、平成六年に初代大先生五十年祭、平成七年に布教九十年記念大祭と毎年立て続けに大きなお祭りをお仕えしたときでした。三代大先生は「初代大先生五十年祭が一番重い、布教九十年祭は百年へのスタートという意味でお仕えする」と説明してくださいました。五十と九十という数字が与える印象や区切りの分かりやすさの差ということもあるでしょうけれども、私はこのとき三代大先生が、初代のお祭りを一番大事にしておられると感じました。そういうこともあって、昨年の初代大先生七十年祭は来賓もお呼びしてお仕えしましたが、今年の布教百十年についてはお祭り自体は例年どおりにお仕えします。

○お祭りは例年どおりではあるが
 しかし信心としてみれば、百十年はれっきとした区切りで、今年は節年なのです。
 いつも申しておりますように、節年とはおかげを頂く年です。こう申しますと、「エー、去年だって節年で、おかげ頂く年だと聞いていたけれども、特別になにか良いことあったかなあ」と頭をひねる方もおられるでしょう。
 私が「おかげが頂ける」と申すのは、神さまが働いてくださるという意味です。例年以上に神さまのお働きが頂ける年なのです。で、神さまには私たちが信心に骨を折り、努力することがなによりのお喜びです。そのためにお働きくださる。そして私たちの信心が向上する、信心が新たに展開する、そのことを望んでおられます。ところが私たちはお金がもうかるとか地位があがるとか、そういった表面に現れたことだけを見る傾向があります。信心が深くなり、広くなりさえすれば放っておいても、いずれ形に現れてくるのに、肝心の信心の充実にはそれほど力が入らない。しかし今年は信心に励むように神さまが導いてくださるはずです。なかには「エー、こんなことが起きてしまった」ということもあるでしょう。それも先のためにお互いの信心の力をつけてくださろうとする神さまのお働きだと解して、前向きに進んでいけば、「おかげだった」と必ず思えます。どうぞ共々に、この節年の一年を大事にして信心を求めてまいりましょう。

(この「教風」は、2015年1月に掲載されたものです)
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