「教風」 (連載第116回)


 原点に戻って



 信話集に、初代大先生の布教はじめの頃、帰りがけの信者さんへかける「さようなら」で悩む話が出てきます(信話集第六集115頁)。「自分のわるいとこは容赦なく指摘してくれ」と頼んでいた信心友達から「さようなら≠ェあきません。あんまり情が深すぎて、言ってもらえた人は喜ぶが、言うてもらわれへんと泣くんですわ」と注意されて何回も何回も稽古するという話です。

 私も、いつでしたか、学院同期の友人が玉水教会に来教したあとで、「おい、あのときえらいむずかしい顔でお結界に座っとったけれど何かそんなややこしいお届けがあったんか」と聞かれたことがあります。お参りした方は先生の表情や言葉をよく見ているし、気にするものなんだなあと改めて思いました。

 初代大先生は、どうしても情がこもってしまうのを隠しきれず、信者さんの顔をみないようにしてスカ向いてさようなら≠ニいうことで解決したとおっしゃっています。それにしても「言うてもらえなかったら家へ帰って泣く」とはどんな心のこもったさようなら≠セったんでしょうか。私はこういうところに玉水教会の原点があるように思えます。

 布教百十年の意義
 ことしは昭和で換算すると九十年、戦後七十年となり、そして玉水布教百十年のお年柄です。「去年初代大先生七十年が済んで、次は百十年ですか」とよく知らない方だったら言うでしょう。それも無理からぬことで、玉水教会の信奉者にとって信心の区切りはあくまで初代大先生のお祭りです。

 だとすると布教百十年はどうなるのか。大事ではないのか。いいえ大切なお年柄です。区切りというより、布教当初の初代大先生の思いをいただき直すことが大切なのではないかと私は考えます。
 初代大先生はご自分が布教しようと考えてこのお広前をつくったわけではありせん。当初は、道広教会の書生さんに入ってもらって布教所にしようと、土佐堀に家を借りたのでしたが、諸々の事情からうまく運びませんでした。

 すると道広教会の先生が「金光様が、湯川さんに、とおっしゃっている。引き受けてくれ」と言われました。承服できない初代大先生は、ご本部にお参りして三代金光様に「布教するのはまだ早いと思います」と申し上げますが「いや。人がかれこれ言うたら時機です」と言われてしまいます。

 それでも納得できない初代大先生は、教祖奥城(おくつき)にあがって直接教祖様に申し上げます。教祖様は「商売一心になれと教えたのに、一心にならなかったじゃないか。むつかしいことせよというのでない。その方の安心の得られたところから話をして安心さしてやってくれ」とおっしゃいます。人助けに奔走してつい商売がなおざりになりがちなことを衝(つ)かれたわけで、これには何も申し上ようがなく、布教へとはらを決めたのでした。

 まず初めに「信心によって人を助けたい」という強烈な思いがあって、それが布教につながったのです。ですから私たちは、大先生のその「人を思う」心をいただかなくてはなりません。かげながら朝夕に丁寧にご祈念させてもらう。折をつくって信心の話をする、何かのときには教会に導く、こうしたことに精を出していくことが、布教百十年のお年柄の意義です。神さまが働いてくださいます。取り組んでまいりましょう。

(この「教風」は、2015年3月に掲載されたものです)
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