「教風」 (連載第117回)


 八つの役前



お広前に四枚のパネルを掲げ、初代大先生の「奉公人の役前」八つを収めています
 湯川安太郎青年は、二十四歳のとき三代金光様のお取次をいただいて小売商いを始めます。よいお得意もできたのですが、困っている人をみると見捨てておけないので、用立てをしたりして、資金繰りはいつも綱渡りのようでした。
 そんななかで信心を深め、一切を神さまにお任せし、自分は奉公人として生きればいいという「神さまがご主人、自分は奉公人」という境地に達します。
 このとき、「任せ、任せ」といわれても、理屈は分かってもなかなか任せられるものでない、と当時をふりかえって大先生はおっしゃっています。
 ではどうするか。任せてしまったあと自分はどうするか、何をどう行(おこな)ったらよいのか、そこがはっきりしないと任せられるものでない。そこで大先生は奉公人としての役前八つを練りだします。

一、一切万事、神様にお願いする役
一、神様と共に勉強する役
一、経済、私のものでないから、そのつもりで気をつけていく役
一、親先祖を大切にする役
一、子供を教育する役
一、家庭を円満にしていく役
一、すべては神様の思(おぼ)し召しに合うように努めていく役
一、借金の断わりを言う役

 つまりこの八つは「神さまがご主人、自分は奉公人」とセットになっているのです。ただ、自分は八つのことをしていきますから、どうぞあとの事は神さま足してください、とやっていくと、いっぺんによくなったわけではありませんが、三月目にはどうにか回るようになり、しまいにはウナリを立てて商売の運転がつくようになった、とおっしゃっています。

 なお古い信者さんのなかには、自分の覚えているのと若干言葉が違うけれど……、と言う方もいらっしゃるかもしれません。もちろん私が勝手に書き換えたのではありません。大先生もそのときどきで表現が違うことがあり、私はこの言葉が分かりやすいと思い採用しました。

 もうひとつ、よく先生方のなかで論議となるのが最後の「借金の断わりをいう役」です。この役だけがほかの役前と印象が違います。初代大先生自身「妙な役ですが」とおっしゃっています。本来、奉公人の信心をしておれば借金はできないはずです。
 しかし信心が分からなかったときにできた借金も神さまに渡して払ってもらわなくてはなりません。そのときは自分の借金ではなく親方の借金の断わりを自分は言うのだという気持ちでやっていく、そういう役だ。と教えてくださっています。

「神さまがご主人、自分は奉公人」という教えだけでは、誰であってもなかなか信心はしにくかったでしょう。しかしこのように神さまに一切をお任せする中身として、自分としてこれだけはやるのです。と具体的に示されれば信心もしやすい。この信心の行き方をひとりでも多くの人に、と勉めていると二年後、三代金光様より「布教せよ」とのお言葉がさがり、安太郎青年はお結界に座ることになりました。明治三十八年(一九0五年)四月、ちょうどいまから百十年前のことでした。

(この「教風」は、2015年4月に掲載されたものです)
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