「教風」 (連載第119回)


 お引き寄せをいただいて



 ご承知のように今年は初代大先生が玉水教会として布教(明治三十八年)を開始してから百十年にあたり、この四月二十日の大祭には信奉者のみなさんと、百十年の節年へのお礼と喜びを捧げさせていただきました。

 ここで、初代大先生の信心の画期ということを考えてみますと、布教開始二年前の明治三十六年ころ、商売に行き詰まった末、「神様がご主人 自分は奉公人」という境地に達したことも大きなことでした。
 こういう安心の境地に到ったからこそお取次を担う身になって、たくさんの人を救えることができたからです。

 更に言えば明治二十七年、奉公先の貴田商店が倒産し将来のお伺いをしたとき、三代金光様から「小売をせよ」とのお言葉をいただき抵抗を感じながらもお言葉通りにした、というのも大きな分岐でした。
 もしこのとき安太郎青年が小売に従事しなかったら今の玉水教会はなかったでしょうし、そもそも湯川の家も今に続いていたかどうか分かりません。そして安太郎青年がお言葉に従わなかったとしても仕様のないことで、お言葉に従ったことがむしろ不思議なことでした。

 当時の三代金光様は、今日で言えば中学生年代にあるほんの少年でした。あの立教聖場のようなお広前でそんな子供に突飛なことを言われたら、ふつうはハイとは言えません。安太郎青年は和歌山にいたときから業界に通じ、塩干物仲買では相当の実績をあげていました。その実績を捨てて資本もないのに小売の道で一から始めよというのは無茶な話なのです。

 しかし安太郎青年はお言葉に従いました。
 私は、前年明治二十六年にご本部にお参りして二代金光様のお取次をいただいたことが大きな要因だったのではないかと考えています。このとき「さようなら、ご機嫌よう」と二代様から声を掛けていただいたということが伝わっています。初代大先生の二代金光様への強い追慕の念をみると、この一生でたった一度の二代様とのめぐりあいは、初代大先生の心に深く刻みこまれたようです。それほど神徳輝くお取次の姿だったのでしょう。だからこそ初代大先生は人生の岐路にあたってわざわざまた金光まで参り、二代金光様の神徳極まるお取次を裏付けにして、三代金光様のお言葉に従われたのではないでしょうか。そしてお金で苦しみながら商売の機微を会得し、神様と首っぴきで信心に励む小売り商いの時代が始まります。この年月の修行の末に、「自分は奉公人」の境地に至るわけです。

 こうしてみると神様はすごいなあと改めて思わせられます。玉水教会の布教には、「神様はご主人」への悟りの境地獲得があり、その前提には十三年におよぶ小売時代の苦闘があり、その小売りへの三代様のいざないがあり、まだ信心の固まらなかった当時に二代金光様のお取次をお見せになり、と要所要所で布石を打って湯川安太郎を導いてくださっています。まさに神様が引っ張ってくださったのです。

 でもそれは初代大先生だけの話ではありません。みなさんの親たちの話でもあります。「私が玉水教会にお参りして、おかげいただいた」のではないのです。神様が繰り合わせして玉水教会に引き寄せてくださったのです。たくさんの人を救うために神様はまず湯川安太郎に信心の修行をさせ、そのために小売商売をさせ……、考えれば考えるほど神様の思いは底知れぬなあと思います。

 私はご本部に参ると初代以来の様々なことを思い浮かべては神様に一つ一つお礼を申します。ふだんはこのお広前で、お願いについては十分させていただいているので、ご本部ではお礼ばかりです。そしてお礼することは折々に増え、その中身は拡がり深まるばかりです。

(この「教風」は、2015年6に掲載されたものです)
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