「教風」 (連載第201回)


 ご気感にかなった願い



  ご祈念とは、信心している人なら誰でもしていることです。また熱意をこめて神さまに向かうにはどうしたらいいか、それぞれが工夫しておられるところでしょう。初代大先生はその上に、筋道が大事だと教えてくださり、信話集のなかでもよく祈りのことにふれておられます。

 先日、ある信者さんがお結界でこう話してくれました。その方は、最近体調が今ひとつで、ご本部参拝の折にも気分が悪くなってしまいました。懸命にお願いしていると次第に調子が戻ってきて気分も良くなり、元気に帰ってくることができました。その御礼とともに、「なんといっても健康第一と痛感した」というのです。「健康であれば今は控えている日参もできる。どうぞ身体丈夫のおかげを」とお願いされました。
 熱心でもあり、お話も聞いておられるだろう信者さんなのですけれども、私は、ちょっとひっかかりました。「それ逆と違いますか」。

○どちらの願いが主か
 要は元気でお参りできればいいのだから、体が丈夫になりますよう、お参りができますよう、どちらが先でもたいした問題ではないでしょう、という人もいるかもしれません。
 しかし、私はこだわりたい。ここはどうあってもまず「お参りしたい」という願いが初めに来なくてはならない。もっともっとお参りしてお広前に日参して、自分のことはもちろん、家族から周囲の人のことを祈りたい。その願いが先頭にこなくてはならない。なぜなら、それは神さまのご気感にかなった願いだからです。

 初代大先生にある奥さんがお届けします。「病気でこまっています」。大先生が「二週間でおかげいただこう」というと、「夫に迷惑かけてます。早く治して夫のために」。こうお願いしたのを聞くと、大先生は、「よっしゃ明日までにおかげいただこう」。

 初代大先生が日を切るのは、初代大先生が神さまに代わっておかげ授けるからではありません。その人の信心ぶりをみて、この分ならもっと早くおかげになると見極めたからです。そして「この呼吸が大事ですなあ。筋道が立ってきますと神さまのご気感にかないます」とおっしゃっています。
 ですから、先日の信者さんも「もっとお参りをして、信者としての役前である周りの人の立ち行きを祈りたい」という願いがまずあって、それが神さまの思(おぼ)し召しにかなえば、身体丈夫というのは楽に実現できるということになります。

 もうひとつ、「これこれのおかげを下さればこれこれします」というお願いの仕方もどうでしょう。「健康を下さればお参りします」というのは、例えは悪いですが、「お金を授けてくれればお供えします」とか「子どもの命を助けてくれれば親の私の命はさしあげます」という願い方と同じものです。金光教の祈りとしては間違っています。「これこれのことをかなえてくださったらこうします、は信心している者の言うべきことではない」と初代大先生も教えてくださってます。

 厳しいことを申しましたが、熱心な信者さんでもこの程度の失敗はいくらでもありそうです。しかし、せっかくお願いしても、ご祈念の筋道がちょっと違っただけで、なかなかおかげになりにくいということも、事実あるのです。お話をよく聞き、また、お結界に足を運んで、ひとりよがりの信心にならぬよう進んでください。

(この「教風」は、2015年8月に掲載されたものです)
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