「教風」 (連載第203回)


 親の祈り



 私の父、三代大先生も、祖父二代大先生も、私に対して「教会のあとを継げ」というようなことは言われませんでした。私自身は、いずれは、という思いはあってもまだまだと考えていました。それが二代大先生晩年の神さまに向かう姿を間近にみて、何としても祖父の生きている間に金光教教師に、と金光教学院入学の決意へとつながりました。

 ですから私は、祖父に喜んでもらいたいという一心から志したのであって、もっと自覚をもってお道の信心を深めたいとか、金光教教師となってひとりでも多くの人を助けるお役に立ちたいといった、しっかりした願いがあったわけではありません。

 何も言われなかった、と申しましたが実は親がどれほど祈っていたか、今になると痛いほどわかります。その親の祈りもあって、学院入学後の私は、迷いもなく修行の道に進んでいくことができました。しかし私のように順調な人たちばかりではありませんでした。私が所属した班には、ちょっとしたことでつまづいて悶々(もんもん)として日をすごす友人もいました。

 そんな友人の姿を見かねた私は、なんとかしなければ、そうだ本部広前で教主金光さまのお取次をいただこうと思いつきました。さっそく本部広前に参ってお結界に進みました。お座りになっている四代金光さまにお届けしました。
 

○お届けの仕方も知らなかった
 今思えば冷や汗ものでした。というのは私自身が信奉者としての常識をこのときに至っても持っていなかったのです。私は苦しんでいる友人の名前を伏せてお届けしました。金光さまは私をご覧になって「それは某々のことか」とはっきり名前を挙げておたずねくださいました。実際その名前の方は別人で、私の友人ではありませんでした。

 ただそのとき、ようやく私は、自分が犯した過ちに気づきました。お結界で匿名のお届けをするのは間違っています。玉水教会のお結界でもプライバシーにかかわると思うからか、告げ口になると思うからか、名前が分かっているのにわざと名前を伏せる方がいます。お結界は腹を割って本心を打ち明けるところです。当然ながら聞いた私も、どこまでも守秘する義務があります。更に名前を伏せるような内容では、私も神さまにご祈念するときなかなか力がはいりません。おかげになりにくい。

 こうしたことに瞬時私は気づき、金光さまに大変失礼なことをした、と小さくなりました。金光さまは厳しく「間違っている」とおっしゃいました。「順序が違う」。名前の挙がった学院生は班担任の先生を通じ、学院長から金光さまにお届けがあったのです。私は班担任には相談しませんでしたから、当然金光さまのお耳には達していません。それではいけない、と諭されました。班担任に相談すれば学院全体でよいように対応を考えてくれ、またご祈念もしてくださり、そのうえで金光さまに逐次お届けされる。これを飛ばすのは例えていえば下着をつけずに上着を着るようなもの、と諄々(じゅんじゅん)とご理解してくださいました。

 このようにご本部のお徳をいただきながら、私は修行生活をおくることができました。そのもとは親の祈りです。信心継承のもとはこの祈りです。「私には子がありませんから」、という方もあります。しかし血がつながらなくても、信心を継承してくださる人はできるはず。また一心に継承ができますようにと祈れば、神さまは親の祈りとして受け取ってくださいます。
(この「教風」は、2015年10月に掲載されたものです)
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