「教風」 (連載第205回)


 両方からの恩人



 文治さん(神さまに出会うまでの金光大神のお名前)は信心深い人でした。そのうえ何事にも真心を尽くし行き届いた人でした。それなのに大病にかかったとき、「建築について無礼をしたから」と神さまから指摘されます。

 文治さんの丁寧な行き方を知っている妻の父が神さまに抗議します。病床から文治さんは「父は何も知らずに申したのです。どのようなご無礼をしていたか凡夫でわかりません。ご無礼お詫び申し上げます」。とひたすらお詫びすると「その方はよい。神が助けてやる」と仰せられ、お言葉通り難病が治りました。文治さん四十二歳のときのことでした。
 神さまに出会って、信心に励む文治さんは次々に不思議なおかげを頂きます。すると困っている人が「拝んでください」と訪れるようになりました。文治さんが四十六歳のとき、神さまは「農業をやめて人助けに専念してくれ」とお頼みになります。

「仰せ通り相勤めます」と終日お広前に座り続ける取次の生活に専念することになりました。十一月十五日、今年で百五十六年になります。
 とはいえ決して順調に運んだわけではありません。山伏が何度も脅しにきたり、明治になって山伏が消えると、国家権力から布教を差し止められたり、巡査に監視されたりしました。そういうなか文治さんから金光大神に進んだその方は変わらぬ姿勢で人の悩みを神さまに願い、神さまの言葉を人に伝える取次を続け、明治十六年この世での務めを終えられました。
 が、「形がのうなったらどこへでも行ってやる」の言葉通り生前にもまして私たちのために働いてくださっています。

 ○どちらの恩が深いか
 ある人が初代大先生にたずねました。
「信心を進めるうえで恩を感じるということが大事であるということは、お話を聞いてよくわかりました。でしたら、私たちが一番恩を感じなければならないのは、神さまでしょうか、それとも教祖金光大神さまでしょうか」。
 私だったら、両方や、とか妙な質問やなあ、とかはぐらかしてしまうでしょうが、初代大先生は明晰(めいせき)に答えます。
「神さまが私たちを助けることは当たり前のことや。天地を丸いかしにいかし、私たちの本体の親なのだから、私たちが苦しんでいるのを何とか助けようとされるのは当然だ。

 しかし金光大神さまは、もとは一介のお百姓だ。私たちを助けなければならん義務はない。それが神さまに出会われ信心を進めるうちに神さまから、悩み苦しんでいる人を助けてくれ、と頼まれなさった。そのお頼みを受けて人助けの御用をなさることになり、私たちが助かりの道に入れるようになったのだから、神さまよりも金光大神さまに恩をより感じなければならない」

 考えてみると、このお広前は初代大先生が心血を注いで築き今も働いてくださっているお広前ではありますが、初代大先生お一人の信心で築かれたものではない。二代白神先生のお導きがもとにあり、二代白神先生は初代白神先生の信心を忠実に継がれた先生でした。初代白神先生は教祖金光大神の一番信頼するお弟子でした。流れはすべて教祖金光大神さまに発しています。
 ですから私たちはその大恩ある教祖さまに毎月参って御礼申し上げているのです。ご本部参拝の大切な理由がここにもあります。

(この「教風」は、2015年11月に掲載されたものです)
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